
険しい山道で一時休憩を取る「背二哥」(都江堰で撮影)。

木材を背負う「背二哥」(都江堰で撮影)。
四川省は古來より、山地に囲まれていたため、斷崖絶壁で山は険しく、河の流れも激しく、交通が非常に不便だった。千數(shù)百年に渡り、數(shù)々の「背夫」たち(大量の荷物を背に擔(dān)いで運搬する人々)が世界を背負って、険しい蜀道の道を歩んできた。華西都市報が伝えた。

食材の入った箱を擔(dān)ぐ「挑夫」(成都で撮影)。

草鞋を擔(dān)ぐ「挑夫」。

薬剤を背負う「背二哥」たち(安県で撮影)。
1917年のある日、アメリカ人のギャンブルさんは、四川省の1本の険しい山道で大量の荷物を背に擔(dān)いで運搬する人を見かけた。同行していた通訳はギャンブルさんに、彼らは蜀道の「背二哥」と呼ばれる荷運びであることを伝えた。彼らはその背に自分の背丈よりもうず高い荷物を背負い、1日數(shù)十キロの距離を50キロ以上の荷物を擔(dān)いで移動する。この出會いは、遙々海を渡ってきたギャンブルさんの記憶に深く刻み込まれた。
四川省は昔から、人口が多く、労働力が廉価で、現(xiàn)地の人は荷物を背負って運ぶことを得意としている上、険しい蜀道もある。そのため、行商や港には、「背夫」や「挑夫(荷擔(dān)ぎ人夫)」が現(xiàn)れた。人々は彼らを「背二哥」と呼び、當(dāng)時最も辛い職業(yè)だった。また道中で「背二哥」たちが荷物を失くさないように、こうした荷運びたちを組織し、荷の安全を保証することを職業(yè)とする人々も存在した。(編集TK)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年2月27日
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn