潘慶林さん。1953年、天津生まれ。1969年、中國(guó)海軍入隊(duì)。1985年、日本留學(xué)。1993年、「世界華商大會(huì)」で「海外の優(yōu)れた華人ビジネスマン」として、香港の実業(yè)家?政治家である霍英東氏と並んで表彰される。帰國(guó)後、祖國(guó)の建設(shè)に身を投じ、改革開(kāi)放の原動(dòng)力となる海外からの投資を數(shù)百億元引き込むなど大きく貢獻(xiàn)。2009年、國(guó)家より「中國(guó)人民友誼貢獻(xiàn)賞」を受ける。2012年には、中國(guó)と日本の政治?文化の交流への貢獻(xiàn)が評(píng)価され、日本の「東久邇宮文化褒賞」を受ける。世界的な人脈を持ち、國(guó)家元首や政界要人との交流を通じ、中國(guó)の特色を持った社會(huì)主義の理論と中華民族の偉大な復(fù)興実現(xiàn)の理想や信念を伝え、外交の手腕を発揮。海外の華人からは「民間友好大使」と呼ばれる。政治協(xié)商會(huì)議第10期?第11期?第12期全國(guó)委員會(huì)委員。
張荊さんは1982年9月から1992年10月まで『青年研究』副編集長(zhǎng)、中國(guó)青少年犯罪研究學(xué)會(huì)副事務(wù)長(zhǎng)。1992年11月から1997年9月まで日本明治大學(xué)?東海大學(xué)訪問(wèn)研究員。1997年10月から2002年3月まで一橋大學(xué)法學(xué)研究科に在籍、修士?博士學(xué)位を取得。2004年から北京工業(yè)大學(xué)人文社會(huì)科學(xué)學(xué)院で教授、法律學(xué)科長(zhǎng)を務(wù)める。1988年1月、論文『青年期を論じる』で全國(guó)1987年度青年教育理論優(yōu)秀論文一等賞。1990年10月、論文『急激な社會(huì)変化、社會(huì)統(tǒng)合と犯罪』で中國(guó)青少年犯罪研究10年優(yōu)秀成果二等賞。1990年、研究報(bào)告『大興安嶺の特大森林火災(zāi)に対する社會(huì)學(xué)研究』で中國(guó)社科院社會(huì)學(xué)所設(shè)立10周年優(yōu)秀科學(xué)研究成果賞二等賞。2005年、書籍『在日外國(guó)人の犯罪』で日本第6回菊田犯罪學(xué)一等賞。2010年、『北京社會(huì)建設(shè)六十年』(副主編)で北京第11回哲學(xué)社會(huì)科學(xué)優(yōu)秀成果一等賞。
鄭燕さんは1989年に北京で日本語(yǔ)の勉強(qiáng)を始め、94年に日本に留學(xué)。95-99年、日本一橋大學(xué)商學(xué)部でマーケティングを?qū)煿ァ?9-03年、米國(guó)の総合コンサルティング會(huì)社?アクセンチュアで、業(yè)務(wù)改善や國(guó)際業(yè)務(wù)発展戦略などのコンサルティング業(yè)務(wù)に従事。03-08年、広告代理店?電通で、営業(yè)兼戦略プランナーを擔(dān)當(dāng)し、グローバルブランドの消費(fèi)者調(diào)査、ブランドマネジメント、及び各國(guó)での広告宣伝、9カ國(guó)に及ぶインターネットプラットホームの立ち上げなどを行う。08年、電通PRに入社し戦略PRプランナー資格を取得、中國(guó)部分の責(zé)任者として、企業(yè)約60社と政府機(jī)構(gòu)のコミュニケーション戦略制定や実行に參加する。11年6月より、電通PRの代表として北京に赴任し、「電通藍(lán)標(biāo)」の副総経理を務(wù)める。2013年、電通四代目社長(zhǎng)?吉田秀雄が遺した仕事の掟?十ヶ條「電通鬼十則」を翻訳編集し、出版する。
方軍氏は現(xiàn)在、中國(guó)作家協(xié)會(huì)に所屬する作家だ。記者は方軍氏と知り合ってから、ちょうど10年になる。方氏は日本留學(xué)中に、中國(guó)を侵略した日本軍の元兵士を取材し、帰國(guó)後に「我認(rèn)識(shí)的鬼子兵」を出版した。その後さらに、戦爭(zhēng)を経験した日本の元兵士、八路軍新四軍の元兵士、抗日連軍の元兵士などを自費(fèi)で取材した。人民網(wǎng)の「日本チャンネル」も方氏を招き、中日フォーラムでネットユーザーとの交流を促進(jìn)したことがある。また方氏に「日本チャンネル」で専門コーナーを開(kāi)き、取材した「最後の人々」について紹介してもらった。取材の経歴と、自身が記した「最後の人々」について語(yǔ)り始めると、止まらなくなってしまうという方氏。取材と著作は方氏の生活のすべてであり、それは今も変わらない。方氏の創(chuàng)作の道は、日本留學(xué)から始まった。
彤華さんは1984年、中央工蕓美術(shù)學(xué)院職業(yè)大學(xué)班を卒業(yè)。1980-1988年、北京工蕓美術(shù)公司でデザイナー。1988-1991年、中國(guó)雑技団でファッションデザイナーを擔(dān)當(dāng)、ファッションデザイン賞を數(shù)多く受賞。1992年初-1995年末、宮城教育大大學(xué)院を卒業(yè)。その間個(gè)展を3回開(kāi)催、一部作品は日本の國(guó)際蕓術(shù)展に入選し、日本各界?メディアの好評(píng)を博す。1996-1999年、日本TT2企畫株式會(huì)社にて企畫部長(zhǎng)。