彼女の名前は陳夢(mèng)ティン(ティンは女へんに亭)さん。1年間かけて一人で14 カ國(guó)を旅し、何度か危険な目に遭いながらも、間一髪で危険から逃れたという。ダダダッという機(jī)銃掃射の音で目覚めたことや、窓の外に數(shù)十臺(tái)の武裝戦車が都市を囲んでいるのを見ながらじっと待ち続けたり、自動(dòng)車事故に遭い1ヶ月もの間、身動(dòng)きすることすらできなくなったこともある。さらには、兵士にライフルを胸に突き付けられた時(shí)にも顔色を変えることは無かったそうだ。浙江新聞網(wǎng)が伝えた。
1988年生まれの彼女は生まれも育ちも浙江省の雲(yún)和で、浙江中醫(yī)薬大學(xué)を卒業(yè)し、杭州で醫(yī)療関係の仕事についた。25歳までは母のいうことをよく聞いて、規(guī)則を守り、無難に暮らしてきた。しかし4年間の退屈な仕事に彼女は完全に耐えきれなくなってしまった。それはこの先続くであろう20年先の未來に対し、妥協(xié)はしないというスタンスであり、それが腹の底から爆発したのだった。
2014年の夏、彼女はまずフィリピンに向かい、ボホール島に住むスウェーデンの若者の家に滯在することにした。朝早く散歩を終えると、家の中を掃いてから床拭きし、ペンキ塗りをした。夜になると絨毯の上に夜通しおしゃべりするための食事を広げ、異國(guó)の地に住む外國(guó)人に中國(guó)の物語を聞かせ、中華料理をご馳走した。
レバノンの首都ベイルートでは、リュックを背に一人國(guó)境へと歩いていった。國(guó)境に近づくにつれて、歩哨兵によるチェックがますます頻繁になっていくことに気づいた。これらの歩哨兵は見掛け倒しではなく、手には本物の実弾の入った武器を持っていたのだった。
彼女はある時(shí)、一人の兵士に行く手を阻まれ、「ここを通りたければ、俺と結(jié)婚しろ!」と迫られた。それに対して彼女は「無理です。私は中國(guó)人で、夫がいます」と答えたという。訳がわからない一方と、気性が激しいもう一方は口論を始め、言い合いはますます激しさを増し、最終的に軍側(cè)を動(dòng)かすことになってようやく解決し、脫出することに成功した。銃を突きつけられて結(jié)婚を迫られるような経験は一生に一度くらいだろう。(編集TG)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年6月1日
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