約2年半前の2018年6月30日、北京の前門に開業(yè)したMUJI HOTEL北京。同ホテルの総経理?濱岸健一さんはランドスケープデザインを?qū)煿イ筏皮い看髮W(xué)時(shí)代、研究室の指導(dǎo)教官から言われた、「濱岸、これからは中國(guó)の時(shí)代だぞ」という言葉をきっかけに、中國(guó)語(yǔ)をほとんど話せない狀態(tài)で2004年に北京林業(yè)大學(xué)に留學(xué)するため訪中。それから約15年の月日が経ち、濱岸さんは今、北京の中心地の前門という歴史と文化豊かな場(chǎng)所にあるホテルの支配人として、どんな中國(guó)生活を送っているのだろうか?人民網(wǎng)が伝えた。

MUJI HOTEL北京総経理?濱岸健一さん(撮影?袁蒙)。
仕事=スピード
MUJI HOTEL北京でホテルのマネジメント業(yè)務(wù)や新規(guī)開発業(yè)務(wù)などに攜わる濱岸さんが、中國(guó)で働く中で実感しているのが、決裁に求められるスピード。即決しないと、クライアントの要求などに乗り遅れて大事な仕事を取り逃がしてしまうので、契約書の法務(wù)チェックや押印申請(qǐng)なども、すぐに対応できるような體制を整えたという。
そしてそんな「スピード」は中國(guó)の消費(fèi)者たちの変化にもみられるとしている。MUJIの1號(hào)店が出店した15年前の中國(guó)では、豪華で派手なものを好む中國(guó)の消費(fèi)者たちからは、なぜこんな普通でシンプルなものが、こんなに高いのか?と、見向きもされなかったという?!袱筏?、今やそのシンプルを自ら好むようになっており、この數(shù)年は特に顕著で、MUJI HOTEL北京の開業(yè)から現(xiàn)在までの2年半ほどの間だけでも、MUJI熱は日に日に高まっている?!篗UJIファン』といわれる20代の若者まで出てきたことには正直びっくりした」と濱岸さん。

ホテルのスタッフに聲をかける濱岸健一さん(撮影?袁蒙)。
今年=ジェットコースター
普段からこのように中國(guó)の「スピード」に觸れてきた濱岸さんだが、今年はまさにジェットコースターに乗っているような亂高下だったと感慨深げに振り返る。新型コロナウイルス。今年、観光業(yè)に攜わる人々にとって、切っても切り離せない話題だ。春節(jié)(舊正月)時(shí)期は、ホテル業(yè)にとって最も売上が期待できる連休にもかかわらず、観光客は皆無(wú)。こうした厳しい狀況が労働節(jié)(メーデー、5月1日)まで続いたという。そして労働節(jié)になって、いきなり爆発的な來(lái)客數(shù)になり、必死の対応に追われたものの、喜んだ矢先に今度は新発地市場(chǎng)のクラスター発生で、再び春節(jié)の時(shí)に逆戻り。宿泊は8月まで全く回復(fù)しなかった。
それでもこのコロナ感染拡大から、落ち著きを取り戻す流れの中で、濱岸さんが感じたのは、北京市が全市民を?qū)澫螭薖CR検査を積極的に行ったことで、感染者がしっかりと把握でき、街に出ることに心配が要らなくなったことが大きいという點(diǎn)だ。「中國(guó)のやる時(shí)は徹底的にやるというスタンスが功を奏し、今MUJIホテルもかなりお客様の自由度が上がっている。マスクを著用する以外は、コロナ前と何ら変わらない狀況にまで戻っている點(diǎn)は、運(yùn)営側(cè)として大変助かっているというのが本音」とした。
プライベート=MUJI?
「シンプルな暮らしを目指しているが、まだまだ部屋に物は多いし、片付けが苦手」とする濱岸さんだが、小ざっぱりした感じのファッションから、週末によく行くという行きつけのカフェもシンプルで、なんとなくMUJIテイストを醸しだしている。ロフトのような造りのちょっと奧まった席に座り、美味しいコーヒーとお?dú)荬巳毪辘违靴螭蚴长伽胜椤⑹耸陇颏筏郡?、カフェにあるAIを利用した革新的なサービスなどを新たなアイデアの參考にしたりするのだという。
このようにすっかり中國(guó)の暮らしに馴染み、満?jiǎn)摔筏皮い毪瑜Δ艘姢à霝I岸さんだが、留學(xué)當(dāng)初は、北京のことなどわからないまま訪中したため、様々な苦労やトラブルなども體験済み。それでも、北京で一番好きな場(chǎng)所は?という質(zhì)問の答えは、「留學(xué)時(shí)代を過ごした思い出の場(chǎng)所、五道口」だった。
原點(diǎn)のような場(chǎng)所=五道口
留學(xué)先の北京林業(yè)大學(xué)からほど近い場(chǎng)所にある五道口は、北京の大學(xué)が集中している海淀區(qū)にあり、周囲には留學(xué)生も多い清華大學(xué)や北京語(yǔ)言大學(xué)などがあるため、90年代から學(xué)生向けの韓國(guó)料理や日本料理のレストランが軒を連ね、手頃な値段でそこそこオシャレなファッションも手に入れられる人気の街だった?!袱い恧螭室馕钉撬激と毪欷细駝e。今でも五道口と聞くと、當(dāng)時(shí)のホームシックになった思い出や、修士論文のプレッシャーで押しつぶされそうになった日がフラッシュバックのようによみがえる」と話す濱岸さん。でも実はもうずいぶん長(zhǎng)いこと五道口には行っていないのだという。

留學(xué)時(shí)代の濱岸健一さん(ご本人からの提供)。
そんな「原點(diǎn)のような場(chǎng)所」を、一緒に訪ねてみることにした。新型コロナ感染対策の関係で、殘念ながら大學(xué)構(gòu)內(nèi)に入ることはできなかったが、正門から見える校舎や宿舎を指さし、當(dāng)時(shí)を振り返る濱岸さん。同大學(xué)初の外國(guó)人留學(xué)生だったということもあり、様々な手続きに苦労したこと、教員や同級(jí)生に白酒(バイチュー)をたくさん飲まされ、擔(dān)がれるようにして宿舎に戻ったこと、エレベーターの無(wú)い6階の部屋から、洗濯物を手に上り下りしたことなど。大學(xué)から五道口に向かう道をそぞろ歩きながら、話していくうちに、濱岸さんは時(shí)に笑顔を浮かべ、時(shí)に目の前に広がる風(fēng)景との違いに驚きながら、久方ぶりの「原點(diǎn)」を楽しんでいた。

取材で久方ぶりに訪れた母校の前に立つ濱岸健一さん(撮影?袁蒙)。
今後=経験と知識(shí)頼りに「探す、見つけ出す」
15年の中國(guó)歴を振り返るとあっという間だったとする濱岸さん?!阁w力的には落ちていると感じているので、そうした點(diǎn)を、今後どうやって経験や今まで蓄積してきた知識(shí)でカバーしていけるかなと考えている」としつつも、世の中の良いものを「探す、見つけ出す」というMUJIの「Found MUJI」という考え方のもと、世の中から失われつつある伝統(tǒng)工蕓の技や、後世にしっかりと伝える必要のある文化、くらしなどにスポットを當(dāng)てて、展示やイベントを企畫している。今年、新型コロナの影響で延期中止となってしまったこれらの企畫の數(shù)々を、來(lái)年こそは何としても実施したいと、にこやかな笑みを浮かべながらもしっかりとした決意を語(yǔ)ってくれた。(文?玄番登史江)