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【國際観察】「戦爭帝國」が誘発したロシア?ウクライナ衝突

人民網(wǎng)日本語版 2022年03月25日15:30

ロシアとウクライナの軍事衝突は冷戦終結(jié)後、最も重大な地政學(xué)的事件であり、その影響は計(jì)り知れない。ロシア?ウクライナ衝突は、ロシアとウクライナの戦爭というよりも、チェスプレイヤーたる米國のロシアとの地政學(xué)的ゲームと言える。人民網(wǎng)が伝えた。(文:李自國。中國國際問題研究院ユーラシア研究所所長)

米國は建國後250年足らずの間で、他國に干渉する軍事行動(dòng)を発動(dòng)することのなかった期間はわずか20年足らずしかなく、名実ともに「戦爭帝國」と言える。今回のロシア?ウクライナ危機(jī)を作り出すことで、米國は低コストでロシアと歐州の関係を離間させ、天然ガスパイプラインプロジェクト「ノルドストリーム2」をぶち壊し、NATOを活性化させ、ロシアを弱體化させたのであり、間違いなく「勝者」と言えるだろう。

「三尺の氷は一日の寒気でならず」。兄弟のような隣國だったロシアとウクライナがたもとを分かち、さらに武力衝突へといたったのには、米國の「貢獻(xiàn)」が不可欠だった。米國は常にロシアを抑止し、弱體化させることを戦略的選択としており、ロシアを地域の安定を脅かす悪しき隣國に「仕立て上げる」ことが、その主たる手段だ。ウクライナは不幸にも米國に、ロシア抑止の重要な足がかりとして選ばれてしまい、ロシア?ウクライナ衝突は癒合の術(shù)なき地政學(xué)的傷跡へと変わった。

冷戦後、「蜜月期」から始まった露米関係は、最終的に「冷戦よりもまずい」?fàn)顟B(tài)へといたった。これは米國のロシア抑止?弱體化戦略の必然的結(jié)果と言える。1992年、エリツィンは1年間に2度訪米し、雙方は數(shù)10件の協(xié)力文書に署名した。米國議會(huì)で演説したエリツィンは熱烈な拍手を21回受けた。ロシアが積極的に西側(cè)と交流を行っている間に、実は米國はNATOの東方拡大への準(zhǔn)備を進(jìn)めていた。1999年1月、ロシアを訪問したオルブライト米國務(wù)長官は、平等と相互尊重、相手國の利益への配慮を基礎(chǔ)に建設(shè)的関係を発展させると表明した。しかし、そのわずか2ヶ月後、米國の主導(dǎo)するNATOが國連を通さずにユーゴスラビア連邦共和國を爆撃。NATOにポーランドとハンガリー、チェコが加盟して冷戦後初の東方拡大を?qū)g現(xiàn)したのだ。そしてNATOという「冷戦」時(shí)代の戦爭機(jī)構(gòu)は消滅するどころか、強(qiáng)大化した。

NATOが東へ?cái)?shù)百キロ進(jìn)んだところで、米國とその同盟國の安全保障が著しく強(qiáng)化されることはない。ロシアの近代化が進(jìn)んだ核の攻撃能力の前では、そのような距離的差異は焼け石に水だからだ。ロシアが米國に対して核攻撃を行う場合、北極圏から実行が可能なのであり、わざわざ迂遠(yuǎn)な手段を取ることはない。では、それでもなぜ米國はNATOの東方拡大を何度も繰り返し、強(qiáng)力に推し進(jìn)めてきたのだろうか。それはロシアの地政學(xué)的空間を圧迫し、ロシアを刺激して激しい反応を引き出し、徐々にロシアを地域の脅威として「形作る」ことが、その目的だからだ。

周知のように、ウクライナとロシアはスラブ系の兄弟國であるうえ、ウクライナは東スラブの文化的ルーツとなっている。米國は、ロシアにとってウクライナが「敏感な存在」であり、刺激すれば必然的に反応することをよく分かっている。だからこそウクライナは不幸にも米國の特に重視する駒にされたのだ。2004年、NATOの第2次東方拡大の際、米國はウクライナで最初の「オレンジ革命」を発動(dòng)した。ウクライナの國內(nèi)政治は親歐米派と新ロシア派が角逐する時(shí)代に入った。2013年末、米國が後押しする中、再びウクライナで「マイダン革命」が勃発。これを指揮したのが當(dāng)時(shí)、副大統(tǒng)領(lǐng)だったバイデンであり、直接取り仕切ったのが現(xiàn)米國務(wù)次官で、ウクライナのオデッサにルーツを持つヌーランドだ。この出來事によって、ロシアは米國の正體を完全に見極めた。2014年、「マイダン革命」後に就任したウクライナのヤツェニュク首相とポロシェンコ大統(tǒng)領(lǐng)が相次いで訪米。米側(cè)は経済的支援を約束すると同時(shí)に、ウクライナの主権と領(lǐng)土的一體性を全力で守るとの「絵に描いた餅」を引き続きウクライナ人に與えた。後押しを得たウクライナは東西バランス政策を完全に捨て去り、EU及びNATO加盟への道を突き進(jìn)んだ。

2014年の段階でキッシンジャーはウクライナについて、東西対立の駒ではなく、意思疎通の架け橋になるべきだと提言していた。しかし、米國が必要としているのが架け橋ではなく、対露進(jìn)攻の「橋頭堡」であることは明らかだ。バイデン政権発足後、米國は各レベルの高官がウクライナ支持発言をし、ウクライナへの軍事支援を強(qiáng)化し、黒海に艦隊(duì)を派遣してウクライナと合同軍事演習(xí)を?qū)g施してきた。その目的はただ一つ。ウクライナに反露の闘志を促し、「流血の傷跡」が癒合せぬようにすることである。2021年8月末にゼレンスキー大統(tǒng)領(lǐng)が訪米した際、両國は「戦略防衛(wèi)枠組協(xié)定」と武器開発協(xié)力協(xié)定に署名し、米國はウクライナへの追加軍事支援を発表した。続いて、オースティン米國防長官がウクライナを訪問し、ウクライナのNATO加盟への支持を仰々しく宣言した。米國の力強(qiáng)い支持があれば、ウクライナのNATO加盟は目前であり、何かあっても米國が責(zé)任を負(fù)ってくれるように思われた。しかし、ロシアが「特別軍事行動(dòng)」を起こした後、ウクライナの庇護(hù)者を自任し続けてきた米國は派兵も飛行禁止區(qū)域の設(shè)定もしない姿勢を繰り返し表明した。これは、チェスプレイヤーたる米國が、駒のために自國の根本的利益を犠牲にすることはないことを改めて証明するものだろう。

ウクライナは優(yōu)美な風(fēng)景を持ち、傑出した人物を輩出してきた。ウクライナの人々は性格が溫和で、客人を親切にもてなす。かつて歐州の穀倉地帯であり、工業(yè)先進(jìn)地域であったウクライナが、今や戦火に苛まれる苦難の地と成り果てた。本來なら東西の架け橋となり、雙方に利益をもたらし得たが、今や大國間のゲームの主戦場となっている。問題は原因を作った者が解決すべきだ。早期停戦には大國が政治的勇気を示し、冷戦思考を捨て、陣営対立を止めて、世界と地域の平和?安定のための條件を整えることが不可欠だ。(編集NA)

「人民網(wǎng)日本語版」2022年3月25日

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