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お金で損をした経験を共有 「損組」に見る若者のお金の使い方

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版 2022年04月01日11:01

(イラスト著作権は東方ICが所有のため転載禁止)

若者はどうやってお金を稼ぐかという話題が人々の間で熱く語(yǔ)られている一方で、一部の若者たちは、自分たちがお金で損をした経験を密やかに共有している。SNS「豆瓣」のお金で損をした人たちのスレッド「損組」には、「損の名人」が23萬(wàn)8千人以上いて、さまざまな損した體験や、今思い出しても胸が痛むような過(guò)去の「無(wú)駄金」を使った経験などを公開している。若者たちはどんなことで損をすることが多く、心の中でどんな消費(fèi)行動(dòng)を「損失手帳」に書き込むのかといった點(diǎn)において、現(xiàn)代の若者の消費(fèi)特徴を観察する1つの切り口を人々に提供している。「中國(guó)青年報(bào)」が伝えた。

若者たちの「損した出來(lái)事」を通して、彼らがどうやって物事に対処しているかを見ることができ、細(xì)かくそろばんをはじくような消費(fèi)習(xí)慣が若者の間で「復(fù)古」している様子も見ることができる。「損組」の人気スレッドには、手に汗握る「借金返済の督促」エピソードもあれば、節(jié)約の技を暮らしに落とし込むための「損失回避術(shù)」もある。なかには借金を踏み倒そうとする債務(wù)者を前に、主人公はあらゆる手段を駆使するが効果がなく、やむを得ず相手のSNSアカウントへ借金を返すよう公開メッセージを送り、世論の圧力によって債務(wù)者に言うことを聞かせたといったエピソードもある。こうしたエピソードは普段の暮らしの中では滅多にお目にかからないものかもしれないが、動(dòng)畫サイトの有料會(huì)員になったものの、どんな動(dòng)畫を見ればいいかわからないといったよくある「損の名人」の経験を共有することは、普通の人が暮らしの中でしばしば経験する「手痛い問題」を鋭く指摘していると言えよう。

次々と損する経験を積んでいく中で、「損組」の人々は損をした経験の中から優(yōu)れた実用的な節(jié)約のアドバイスを?qū)Г訾筏皮い?。毎回試しても失敗のない「損失防止の実踐」の中で、若者はもはやお金を使うだけ、物を買うだけの「散財(cái)小僧」ではなくなり、収入と支出をコントロールできる資産運(yùn)用の達(dá)人へと変身している。節(jié)約できる時(shí)はして、できるだけ損をしないという消費(fèi)原則により、人々は節(jié)制の中にも満足感や幸福感を得られるようになっている。一部の人は「元を取る経済學(xué)」で生活を細(xì)かく指導(dǎo)し、たとえば自分で自動(dòng)車を修理したり、コンピュータのメモリやSSD(ソリッド?ステート?ドライブ)を増?jiān)O(shè)したりすることで、ますます高騰する各種サービスの料金節(jié)約や、必需品を買うときには會(huì)員向け優(yōu)待サービスをとことん利用することなどをアドバイスしている。

消費(fèi)という波に追われるような環(huán)境において、「お金を損した」という自覚は、損をしてしまってから感じることとはいえ、それでも一種の「人間としての目覚め」だと言えるかもしれない。「損組」の楽しみや悩み、つらさは、現(xiàn)代の若者の消費(fèi)主義に対する反省の気持ちをある程度反映している。暮らしの中のやむを得ない一連の損失を除き、多くの場(chǎng)合、損失は実は避けられるものだ。若者たちの損をした項(xiàng)目を並べてみると、専門的な知識(shí)の欠如や衝動(dòng)的な投資による資産運(yùn)用の損失などは筆頭には上がってこないものの、実際には若者にとって最も大きな損失額をもたらしている。そして消費(fèi)の心理學(xué)もまた私たちに誘惑に満ちた暗示的なビジネスの操作を明らかにしてくれる。それは買わないとものすごく損をしたような気になるメーカーが打ち出す割引きであったり、やたらと素晴らしさを並べ立てて、消費(fèi)意欲をかき立てようとする商品説明などだ。家の中ですっかりほこりをかぶったプロジェクターやスタビライザー、カメラなどの電子機(jī)器を見ると、誰(shuí)もがかつて手切り族(ネット通販で過(guò)剰な衝動(dòng)買いをしてしまう人々)になってまで大急ぎで購(gòu)入したことを後悔してため息をついていることだろう。

「損」というのは主観性の強(qiáng)い言葉で、人によって利益と損失の感じ方には違いがある。しかし確かなことは、自分のしたことによって損をしたと感じた時(shí)には、認(rèn)識(shí)の中で理性が優(yōu)位に立ち始めたという點(diǎn)だ。コストと収益を評(píng)価し、選択した損失をはかりにかけることは、利益を求め、損害を避けようとする気持ちの表れであり、若者だけの専売特許ではない。噓偽りのない実感のこもった経験の共有により、「損組」はまるでエピソード集のようになり、一部の実害のない笑い話は、多くの人に何倍もの楽しさを與えることができる。誰(shuí)かの思い出したくない経験や良くない消費(fèi)習(xí)慣を通して、私たちは思いを巡らし、よりよい生活を作り出していくことができる。そして私たちは自分の家計(jì)簿は自分でコントロールしたいと考え、衝動(dòng)に駆られて、押し寄せる波に追い立てられるような消費(fèi)はしたくないと考えるようになるだろう。(編集KS)

「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2022年4月1日

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