漢の時代に起源を発する「脫胎漆器」は中國の伝統(tǒng)手工蕓品で、北京の「景泰藍」や江西省の「景徳鎮(zhèn)」と並んで中國伝統(tǒng)工蕓の「三つの寶」と呼ばれている。丁國坤さん(80)は、「鄱陽脫胎漆器のうるし塗り技術(shù)」國家級無形文化遺産代表性伝承人。江西省のうるし塗り技術(shù)を世襲する家に生まれた丁さんは、「脫胎漆器」の研究、製作に60年以上攜わってきた。中國新聞網(wǎng)が報じた。
江西省鄱陽県の老舗「丁広昌漆號漆器店」を訪問すると、丁さんが手にオリーブ油を塗り、「脫胎漆器」の花瓶を磨いていた。これは、「脫胎漆器」の最後の工程で、「搽青」と呼ばれており、表面をなめらかでつやのある仕上がりにする。

「鄱陽脫胎漆器うるし塗り技術(shù)」伝承人の丁國坤さん(撮影?華山)。
丁さんは取材に対して、「『脫胎漆器』は、型を作り、布をその表面に張り付け、天然の漆や灰、ナンバンカラムシを原材料として作った『漆泥』を何度も塗って固め、『漆泥』が乾いた後に『型』を外して『脫胎』とし、上漆を塗り、磨き上げ、漆塗りをするなど、70以上の工程があるほか、整った漆塗りの體系が築かれている」と説明した。

「脫胎漆器」の最後の仕上げ「搽青」をする丁國坤さん(撮影?李剣波)。
「『脫胎漆器』の製作過程は、手作業(yè)技術(shù)の中で最も繁雑で、一人が全て習(xí)得するためには、數(shù)十年の修行が必要だ」と丁さん。
漆器は中國で長い歴史を誇る。早くは新石器時代から、人々は生漆の機能を理解し、それを器物の製作に使用してきた。そして、漆蕓は発展し続け、最終的にハイレベルなアート作品へと進化してきた。なかでも「脫胎漆器」は、獨自の一派をなしており、その技術(shù)は極めて細かく巧みで、作品は優(yōu)美で、なめらかでつやがあり、時が移り変わっても輝きは増すばかりだ。しかし、作品を製作して生計を立てることは難しいため、この伝統(tǒng)手工蕓の伝承、発展は危機に直面している。

完成した「脫胎漆器」をチェックする丁國坤さん(撮影?李剣波)。
丁さんは近年、中國の各アート系高等教育機関に招かれて教壇に立ち、學(xué)生に漆蕓や漆絵などの指導(dǎo)を行ってきた。丁さんは、「社會がこの技術(shù)に興味を持っている學(xué)生に適度な奨勵、補助金を支給し、彼らが落ち著いて、真剣に學(xué)べるようになることを願っている。私も自分の技術(shù)、知識を全て伝え、全力でこの文化を伝承したい」と語る。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2022年9月20日