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浙江省の「お母さん」3人の獻(xiàn)身的なサポート受け、病を乗り越えた新疆の7歳女児

人民網(wǎng)日本語版 2025年01月22日10:19

今月15日午前8時(shí)、浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院の病室では、新疆維吾爾(ウイグル)自治區(qū)出身の維吾爾族の女の子?瑪依熱?艾力西木ちゃん(7)が窓際に置かれた水槽の中にいるカメに別れを告げていた。

入院して治療を受けていた137日の間に、艾力西木ちゃんは幾多もの苦難を乗り越えたほか、趙文婷醫(yī)師、楊麗君醫(yī)師、単佳妮看護(hù)師長とも仲良くなった。艾力西木ちゃんはこの3人を「お母さん」と呼んで慕っている 。

「お母さん」と慕う趙文婷醫(yī)師との別れを惜しむ艾力西木ちゃん(撮影?陳陸洵)。

「お母さん」と慕う趙文婷醫(yī)師との別れを惜しむ艾力西木ちゃん(撮影?陳陸洵)。

治療ボランティア活動がきっかけでもたらされた「希望」

浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院の心不全に対する機(jī)械的循環(huán)補(bǔ)科の主任助手である楊醫(yī)師は2024年5月、新疆維吾爾自治區(qū)における治療ボランティア活動に參加し、その時(shí)に、現(xiàn)地の病院と自治區(qū)民に心不全を患う子供を?qū)澫螭趣筏空憬髮W(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院の支援計(jì)畫を紹介した。

新疆維吾爾自治區(qū)阿克蘇(アクス)地區(qū)拜城県出身の艾力西木ちゃんは2024年6月末、現(xiàn)地の病院で拡張型心筋癥と診斷され、7月に、烏魯木斉(ウルムチ)児童病院の集中治療室(ICU)に緊急搬送された。そして、約1ヶ月間治療を受けたものの、病狀がなかなか好転しなかった。

艾力西木ちゃんは9月1日、両親に付き添われ、約4000キロ離れた浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院に來て「最後の望み」をかけた治療を始めた。

「病院に到著した時(shí)、艾力西木ちゃんは心不全の末期癥狀が出ていた」という。1秒でも早く治療を始めるために、病院は、「グリーンチャンネル」を設(shè)け、関係する全ての科の専門家を集めて診察を行った。

ベッドに橫たわる艾力西木ちゃん(畫像提供?浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院)。

ベッドに橫たわる艾力西木ちゃん(畫像提供?浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院)。

艾力西木ちゃんがICUで過ごしていた間、楊醫(yī)師は、心不全治療を強(qiáng)化して、人工呼吸器を外し、體外式膜型人工肺(ECMO)を裝著するなど、一時(shí)も気を抜くことなく、治療に専念した。

9月13日、病院の舒強(qiáng)教授率いるチームは、艾力西木ちゃんに、小児用植込み型補(bǔ)助人工心臓(VAD)であるJarvik2015を移植する手術(shù)を行った。Jarvik2015の移植手術(shù)は中國では初めてのことで、中國でVAD移植手術(shù)受けた患者としては、艾力西木ちゃんは最も若く、體重が最も軽い患者となった。

しかし、人工心肺裝置(CPB)から離脫してから間もなく、艾力西木ちゃんは深刻な肺高血圧癥を発癥し、非常に危険な狀態(tài)に陥った。

楊醫(yī)師は「艾力西木ちゃんに再びECMOを裝著することになった」と振り返る。そして、彼女の命を救うために、楊醫(yī)師率いるチームは24時(shí)間態(tài)勢で看護(hù)し、ECMOとVADのサポートの下、艾力西木ちゃんはICUに移された。そして、術(shù)後3日目に、ECMOが外され、10日目に艾力西木ちゃんは、普通病棟に移された。

艾力西木ちゃんの両親が、経済的な心配をしなくてすむよう、醫(yī)療関係者は自発的に西木ちゃんために寄付を募ったほか、15萬元(1元は約21.4円)の特別基金による支援も申請した。浙江省婦女?児童基金會は、艾力西木ちゃんのために、専用アカウントを開設(shè)し、民間から82萬元以上の寄付が集まった。また、病院も、両親に無料で宿泊できる場所を提供したほか、ウイグル語が話せるボランティアを手配して、「言葉の壁」を解決し、艾力西木ちゃん一家が杭州で安心して治療を受けることができるようサポートした。

病室で診察を受ける艾力西木ちゃんと母親(寫真中央)、単看護(hù)師長(寫真右、畫像提供?浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院)。

病室で診察を受ける艾力西木ちゃんと母親(寫真中央)、単看護(hù)師長(寫真右、畫像提供?浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院)。

體が弱い艾力西木ちゃんは當(dāng)初、飲み込む力すらほとんどなかったという。そこで単看護(hù)師長は、「食べても飲み込めないので、ミルクを飲んで栄養(yǎng)補(bǔ)給をした。ストローも使えないので、スプーンで1さじずつ口元に運(yùn)んで飲ませた。わずか50ミリリットルの牛乳を飲むだけでも、とても時(shí)間がかかった」と振り返る。

食事のほか、歩行訓(xùn)練も必要となった。艾力西木ちゃんの術(shù)後のリハビリを擔(dān)當(dāng)していた趙醫(yī)師は、毎日、回診の際に、歩行練習(xí)を一緒にしたという。

最初はベッドの上で立つ練習(xí)しかできなかったが、ベッドから下りて支えてもらいながら立てるようになり、さらに、ベッドの周りを支えてもらいながら歩けるようになっていった。そして、術(shù)後20日くらい経つと、艾力西木ちゃんは自分でベッドから下りて、歩こうとするようになったという。

「杭州は私たちの第二の故郷」

2024年10月11日、浙江の「お母さん」3人が見守る中、艾力西木ちゃんは7歳の誕生日を1日前倒しで祝った。

誕生日ケーキを食べる艾力西木ちゃん(畫像提供?浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院)。

誕生日ケーキを食べる艾力西木ちゃん(畫像提供?浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院)。

12月2日、移植用の心臓がついに屆いた。移植手術(shù)は大成功し、艾力西木ちゃんは、隔離病棟に移されて、リハビリを受けた。艾力西木ちゃんの様子を毎日見に行ったという楊醫(yī)師は、「病室の入り口まで來ると、艾力西木ちゃんがきょろきょろしながら私を待っていたということが、何回かあった」と笑顔で振り返る。

顔色がどんどんよくなっていった艾力西木ちゃんは、體重も少しずつ増え、単醫(yī)師は、「艾力西木ちゃんは本當(dāng)によく頑張った。少しの間に、體重が何キロも増えた」と充実感に浸った。

艾力西木ちゃんの父親?艾力西木?吾斯曼さんは、「新疆は僕たちの生まれ故郷。杭州は僕たちの第二の故郷。ここの政府や病院など、たくさんの方々のお世話になり、本當(dāng)に感謝している」と語る。

獻(xiàn)身的な看病を受け、笑顔を取り戻した艾力西木ちゃん(畫像提供?浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院)。

獻(xiàn)身的な看病を受け、笑顔を取り戻した艾力西木ちゃん(畫像提供?浙江大學(xué)醫(yī)學(xué)院附屬児童病院)。

今月15日正午、退院手続きを終えた艾力西木ちゃんは、両親と共に、病室から出て、みんなに別れを告げた。そして、艾力西木ちゃんが退院すると聞いて、たくさんの醫(yī)療関係者も見送りにやって來た。

楊醫(yī)師は、「家に帰ってからも、何も心配いらないよ。ちゃんと連絡(luò)してあるから」と言葉をかけ、艾力西木ちゃんの手をしっかりと握りしめていた。

また、単看護(hù)師長も、「これは艾力西木ちゃんの薬。多めに準(zhǔn)備しておいたから」と話しながら、薬を両親に渡していた。

趙醫(yī)師は、涙があふれる目を擦りながら、笑顔で艾力西木ちゃんに手を振り、エレベーターまで送った。(編集KN)

「人民網(wǎng)日本語版」2025年1月22日

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