臺灣の復(fù)興航空(トランスアジア航空)の旅客機が23日午後7時頃、馬公空港への緊急著陸に失敗した。臺灣復(fù)興航空の24日6時30分の発表によると乗客乗員は58人で、すでに48人が死亡、10人が負(fù)傷した。乗客にはフランス人2人が含まれるが、大陸部の乗客はいなかった。新華網(wǎng)が伝えた。
臺灣「飛行安全調(diào)査委員會」の王興中執(zhí)行長は「復(fù)興航空機事故は飛行安全事故であり、規(guī)定により飛行安全調(diào)査委員會が調(diào)査し、関連情報を収集後調(diào)査結(jié)果をまとめる。事故原因を現(xiàn)在推測するのは早すぎる」と表明。臺灣の交通當(dāng)局によると、すでにブラックボックス2つのうち1つが回収された。
臺灣の民間航空當(dāng)局の責(zé)任者によると、復(fù)興航空GE222便は午後4時に高雄を出発して馬公へ向かう予定だったが、悪天候のため午後5時42分まで離陸が遅延。墜落時は悪天候またはその他の要因のため著陸復(fù)行が必要となったが失敗した。事故機には乗客54人と乗員4人が乗っていた。
復(fù)興航空によると事故機はATR72-500で、運航13年。機長は飛行経験22年、総飛行時間2萬2994時間近く。副機長は飛行経験2.5年、総飛行時間2392時間。澎湖県消防局によると事故機は空港近くの澎湖県湖西郷西渓村に墜落し、現(xiàn)場には機體の殘骸が殘っている。臺灣の「中央気象局」によると、澎湖は同日午後7時から8時に雷雨が発生し、最大で8級(17.2-20.7m/s)の突風(fēng)が吹いていた。南西風(fēng)と臺風(fēng)の環(huán)流が合流して、雨帯が澎湖付近に位置していた。
復(fù)興航空は1951年に臺灣初の民間航空會社として設(shè)立。島內(nèi)および短距離國際線を主に運航している。臺灣桃園國際空港と臺北松山空港をハブ空港とし、現(xiàn)在臺灣第3の航空會社。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年7月24日
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