なびく柳のような長い羽は明るい灰色の羽毛で覆われ、その両頬はまるで紅花で染めたような赤い色をしているトキ。このほど新潟県佐渡島にある「トキの森公園」で、トキの優(yōu)雅で美しい姿を間近で見る機(jī)會(huì)を得た。新華社が報(bào)じた。
「トキの森公園」內(nèi)に限らず、のどかな佐渡島の田園地帯でも、運(yùn)が良ければ、野生のトキの美しい姿を眼にすることができる。しかし、中國からトキが贈(zèng)られることがなければ、日本では1981年には完全に野生のトキがその姿を消していたことだろう。
佐渡島はかつて、日本におけるトキの生息地だった。明治維新以降、日本の現(xiàn)代化が進(jìn)み、トキをめぐる環(huán)境は次第に悪化した。第二次世界大戦後、日本の現(xiàn)代農(nóng)業(yè)は、「農(nóng)薬や化學(xué)肥料こそが萬能」という信仰を守り続けたため、トキの餌が激減し、かつては國內(nèi)各地に生息していた日本のトキは、毎年減少の一途を辿り、絶滅に向かっていった。
1981年、トキへの緊急対策が講じられた。日本政府は、佐渡で當(dāng)時(shí)殘っていた野生のトキ(雄1羽と雌4羽)を捕獲し、佐渡トキ保護(hù)センターに移し、人工飼育を始めた。これは同時(shí)に日本の野生のトキが完全に姿を消したことを意味した。
それから22年経ち、「キン」と名付けられた國內(nèi)最後のトキが36歳(人間の壽命に換算すると100歳以上)という高齢で亡くなり、日本のトキは絶滅した。
日本の野生のトキが絶滅した1981年、中國陝西省洋県の山中で幼鳥を含む7羽のトキが見つかった。中國の人々の間では、トキは「めでたさ」の象徴であり、「吉祥の鳥」と呼ばれている。
中國では、トキの保護(hù)と繁殖?飼育がしっかりとおこなわれている。中國は1998年、日本に2羽のトキを贈(zèng)呈した。その後、再び「友好の使者」として、中國から3羽のトキが日本に贈(zèng)られ、佐渡トキ保護(hù)センターで人工繁殖に成功し、「トキの奇跡」が起こり、トキ文化が日本で続くこととなった。
現(xiàn)在、「トキの森公園」の「トキふれあいプラザ」には、多くのトキがいる。飼育員らは、この希少な鳥を野外環(huán)境のもとで生活させたいと願(yuàn)い、大自然により近い環(huán)境を整えた。ここでは、飛び回ることから捕食?巣作り行動(dòng)までトキのあらゆる活動(dòng)が、研究のために記録されている。
推算によると、日本には現(xiàn)在284羽のトキが生息している。このうち佐渡で生活しているのは281羽で、殘り3羽は佐渡から本州に飛來した。佐渡市役所の巖崎洋昭さんは、「佐渡市と陝西省洋県は、常に交流活動(dòng)を行っている。トキの飼育と繁殖は政府が擔(dān)っており、我々の交流は、主に、地方経済社會(huì)の発展促進(jìn)のためにトキをどのように活用するかに焦點(diǎn)を當(dāng)てたものだ」と話した。
トキはすでに、佐渡にとって最も輝かしい「名刺」となっている。トキをかたどった郵便ポストやマスコット、そして「トキ」と名付けられた清酒や牛乳といった食品を島の至る所で目にすることができる。佐渡市民によると、佐渡を訪れる観光客の多くは、トキが目當(dāng)てだという。
巖崎さんは、「佐渡の地方振興において最も成功した産業(yè)は観光業(yè)だ。我々は、2011年時(shí)點(diǎn)には延べ1510人だった外國人観光客數(shù)を2019年には延べ5000人まで増やすという計(jì)畫を打ち出し、すでに予定より前倒しで実現(xiàn)した。今後も、トキが地域経済の発展をさらにリードし、より多くの『奇跡』を生み出してくれることを期待している」と述べた。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語版」2018年5月10日
![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日報(bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn