織り機(jī)の筬(おさ)を手前にトントンと打ちつけるたびに、経糸を巻きつけた筒のような形の竹製パーツが上下に揺れる。手元では色鮮やかな模様の布が少しずつ織り上がっていく。この布は、壯錦と呼ばれる壯(チワン)族伝統(tǒng)の織物だ。

壯錦の機(jī)織り機(jī)(撮影?勝又あや子)
■チワン族伝統(tǒng)の織物
壯錦は、雲(yún)錦、蜀錦、宋錦と並ぶ中國四大織物の一つ。1000年に及ぶ歴史を持ち、中國の國家無形文化遺産リストに登録されている。綿糸を経糸に、色とりどりの絹糸を緯糸として織られ、生き生きとした模様と、織り目がしっかりとした厚手の仕上がりが特徴的だ。民族衣裝に用いられてきたほか、最近ではバッグやポーチといった小物にも使われるようになっている。

壯錦を使ったチワン族の民族衣裝(撮影?勝又あや子)

壯錦を使ったバッグやポーチなどの小物(撮影?勝又あや子)
広西壯(チワン)族自治區(qū)南寧市にある広西金壯錦文化蕓術(shù)産業(yè)基地(以下、広西金壯錦)では、この壯錦の技術(shù)継承と販路開拓に取り組んでいる。ここでは、壯錦の輸出も積極的に行っている。主にはヨーロッパ向けで、人気はテーブルランナーや現(xiàn)代風(fēng)にアレンジした服など。オーダーメイドの受注も多いという。
■壯錦の技を守る
広西金壯錦でリーダー的な役割を擔(dān)っているのがチワン族の李冬蓮(39)さんだ。李さんは母親から手ほどきを受け、壯錦を織り続けてきた。

壯錦の織り手としてリーダー的な役割を果たしている李冬蓮さん(撮影?勝又あや子)
「壯錦がとても好きだったので、壯錦を織ることをやめてしまいたくなかった」と言う李さんは、壯錦の技を絶やさないようにと、親戚などに聲をかけて一緒に壯錦づくりに取り組むようになった。2016年、広西金壯錦がメディア報(bào)道を通じて李さんのことを知って聲をかけ、広西金壯錦の一員となった。その後、李さんの勧誘などもあり、広西金壯錦に所屬する織り手は1年目に38人、2年目に43人となり、現(xiàn)在では60人近くにまで増えた。
広西金壯錦では、織り手が常駐する機(jī)織り工坊のような形ではなく、原材料を織り手に提供し、織り手が各家庭で織った壯錦を1メートル?yún)g位いくらで買い取る形を取っている。李さんが「このやり方なら、農(nóng)作業(yè)やお年寄りの世話に影響がありません」と言うように、在宅で働けることが大きなメリットになっているようだ。
李さんによると、一緒にやらないかと聲をかけても、最初は壯錦を織っても本當(dāng)に買ってくれる人がいるのか疑問視し、二の足を踏む人も多かったという。広東省に出稼ぎに行けば少なくとも3000元(1元は約16.9円)は稼げるため、その収入を捨てて買い手がつくかどうか分からない壯錦づくりに切り替えたがらなかったのだという。しかし、実際に収入になることが分かると、広西金壯錦の織り手として働く人が徐々に増えていった。
李さんは、「私たちには技術(shù)があるけれど、できることには限りがあります。(販売するための)仕組みが必要だし、商品としてうまくパッケージングする必要もある。広西金壯錦は織り手のために販路を開いてくれました」と語った。
■ 失われた模様を復(fù)活
壯錦には、蟒龍紋や萬壽紋など、さまざまな模様がある。李さんにどの模様が一番好きか聞いてみると、「福田錦」という答えが返ってきた?!笁彦\の伝統(tǒng)的な模様ですが、失われていました。それを私が復(fù)活させたんです」と李さんは言う。
実際に福田錦を見せてもらった。菱形やコウモリ、八角、田んぼ、鳥の頭部、種などのモチーフを連続させたパターンで、豊かな生活を象徴している。この模様が織り込まれた反物には、1000元余りから3000元という値段がついていた。

李さんが復(fù)活させた福田錦(撮影?勝又あや子)
「この技術(shù)を自分の世代で終わらせてしまいたくありません。次の世代へと伝えたい」と言う李さん。「機(jī)械でも代わりはできるし、私たちが織ったものよりもきれいかもしれないけれど、私たちには私たちの特徴がある」と胸を張る。そして、「壯錦づくりは取り組む価値のある仕事。とても誇りに思っています」と自信に満ちた口調(diào)で語った。(文?勝又あや子)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年5月8日