「開平南樓」は広東省開平市赤坎鎮(zhèn)騰蛟村に位置し、1912年に建てられた7階建ての高さ19メートル、敷地面積39平方メートルの鉄筋コンクリートの建物で、各階には機(jī)関銃とサーチライトが設(shè)置されている。抗日戦爭(zhēng)中、7人の自衛(wèi)団が9日の間ここで必死で日本軍を迎撃し、最後は捕えられ日本軍により慘殺された。
1944年6月24日、日本軍が三埠を侵略?占領(lǐng)し、開平県多くの人が苦しみのどん底に突き落とされ、日本軍が至るところで強(qiáng)姦、略奪、放火、殺戮が繰り返され、人々は極度に苦しんでいた。開平の人々は次々に立ち上がり、日本侵略軍に抵抗しはじめた。司徒四郷自衛(wèi)団はこのような情勢(shì)から結(jié)成された農(nóng)村の武裝軍だった。司徒四郷自衛(wèi)団は勇敢に、粘り強(qiáng)く日本軍と戦い、「開平南樓抗日7戦士の物語」を生み出した。1983年、開平県人民政府は南樓を指定保護(hù)文化財(cái)に認(rèn)定し、1999年、開平市人民政府は300萬元(約6000萬円)を超える資金を投入し、現(xiàn)場(chǎng)となった場(chǎng)所にメモリアルパークを建設(shè)し、記念館や彫刻、アーチなどを増?jiān)O(shè)した。人民網(wǎng)が伝えた。(編集JK)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年7月21日
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386