高級飲食店が並ぶ東京?銀座に、レストランを展開するラムラのモダンチャイニーズダイニング「過門香」がある。同高級中華料理店の総料理長は、生粋の重慶人?明信江さんだ。(文:周盈。華龍網(wǎng)掲載)
1963年生まれの明さんが日本に來たのは40歳近くの時(shí)。それでも、こつこつ努力して料理の腕を磨き、改良にも取り組んで「重慶の味」を日本料理に盛り込んだ。そして、日本で一調(diào)理師からグループ全體の総料理長へと成長した。
たまたまなった調(diào)理師から名シェフへと成長
明さんの子供ころの夢は軍人になることだったものの、高校を卒業(yè)した後は、四川省旅游學(xué)校に入學(xué)し料理を?qū)熼Tに學(xué)んだ。しかし、理論を?qū)Wぶ単調(diào)な勉強(qiáng)だったため、明さんはなかなか料理が好きになることができずにいた。ある日、同學(xué)校を見學(xué)する団體が訪れ、學(xué)校のシェフが大根の千切りの技術(shù)を披露し、大根を針の穴を通すほどの細(xì)さに切るその腕前に明さんは心を奪われた。そして、料理の勉強(qiáng)に集中するようになった。
卒業(yè)後、明さんは精進(jìn)料理で有名な中國山東省?泰山出身の王樹栄氏に弟子入りした。しかし、掃除などの雑用ばかりさせられる日々が數(shù)ヶ月続いため、そのことに我慢できなくなった明さんが、「毎日掃除ばかりは嫌だ。料理を勉強(qiáng)したい」と伝えると、師匠は黙ってその場を去ったという。家に帰って、頭の中を整理してみてから、自分はちょっと焦り過ぎで、掃除をさせられるのにも必ず意味があるはずと考えた明さんは、謝罪して、引き続き王氏の下で修業(yè)を積んだ。その後、明さんの気持ちが落ち著き始めたのを見た王氏は料理を教えてくれるようになり、23歳になった1986年に、明さんは一級調(diào)理師の資格を取得した。
![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日報(bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn