14日上映のドキュメンタリー映畫『二十二』は興行収入が1547萬(wàn)元(約2億5600萬(wàn)円)に達(dá)した。メガホンをとった郭柯監(jiān)督は以前、コストを差し引いて利益があった場(chǎng)合、こうした老人の今後の生活や慰安婦問(wèn)題の研究に充てるため、上海師範(fàn)大學(xué)中國(guó)「慰安婦」問(wèn)題研究センターに全額寄付するとした。
映畫の描く元慰安婦たちのごく普通の暮らしぶりは、「映畫として衝突や技巧を欠く」と批評(píng)されもしたが、郭監(jiān)督はすでに數(shù)十年前に閉じた深い傷痕を開(kāi)くようカメラの前で迫るのではなく、彼女たちの普段の暮らしぶりを撮影し続けた。郭監(jiān)督は、「もし彼女が自分の祖母だったら、私は痛ましい質(zhì)問(wèn)に答えるよう求めるだろうか?」と話した。
■22人の生存者はわずか8人に
郭監(jiān)督の目に映る生存している元「慰安婦」たちは、愛(ài)すべき年長(zhǎng)者であり、常人には想像しがたい苦難を受けた後もなお「この世界は本當(dāng)にいい」と微笑むことのできる落ち著いた老人だ。毛銀梅(舊名?樸車順)さんは1922年生まれ。1945年初め、日本人に騙されて韓國(guó)の農(nóng)村から中國(guó)湖北省漢口市にあった日本軍慰安所に送り込まれた。その後、混亂に乗じて脫走し、湖北省孝感市に到著。毛主席の苗字ににちなんで毛銀梅と改名し、それ以來(lái)70年間中國(guó)に留まった。カメラを向けられた毛さんは子供の頃の歌を歌うが、故郷に帰ることはなかった。毛さんが引き取って育てた一人娘が、養(yǎng)母の身上を知ったのは何年も後のことだ。
毛さん宅の裏庭にはクチナシの花が多く植えられている。映畫撮影時(shí)、毛さんは毎日たくさんの花を摘んで制作チームに贈(zèng)った。2017年1月18日、毛さんは94歳で亡くなった。2017年7月時(shí)點(diǎn)で、映畫に出た22人の生存者はわずか9人となっていたが、8月12日にもう一人の生存者である黃有良さんが亡くなったことで、わずか8人となった。
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