河南省文物考古研究院はこのほど、同省南陽市の黃山遺跡で、紀(jì)元前5000年から紀(jì)元前2700年まで栄えた仰韶文化の中期から後期のものと見られる穀物倉庫群が発見されたことを明らかにした。穀物倉庫の基礎(chǔ)16基が既に発掘されたという。大量の穀物倉庫の基礎(chǔ)の発見は、約6000年前に貿(mào)易が盛んだったことを示しており、その時(shí)代の社會(huì)の複雑化、文明化の過程の研究にカギとなる資料を提供している。
発掘された穀物倉庫の基礎(chǔ)16基の形は円形や楕円形で、その外徑は2.3‐3メートル。內(nèi)徑は約2メートルで、壁の基礎(chǔ)や地上の壁面、濕気防止層などで構(gòu)成されている。河南省文物考古研究院の馬俊才研究員によると、穀物倉庫は、同時(shí)代の住居跡や玉石器工房跡の周囲に分布しており、穀物倉庫群全體が統(tǒng)一してレイアウトされている。また、形狀や構(gòu)造、大きさが似ており、密集していて、大量の穀物を保存できるようになっていたと見られる。機(jī)能別にエリア分けされ、「古代國家の穀物倉庫」の形態(tài)を備えている。馬研究員は、「50平方メートル內(nèi)の同じ層に穀物倉庫が5基あり、その密度に驚かされる」としている。
黃山遺跡では、植物考古學(xué)者が既に大量のアワやイネ、キビの種を発見している。馬研究員は、「遺跡全體を見ても発見されている雑草の種が少ないため、同遺跡では農(nóng)業(yè)生産は行われておらず、食物資源は他の場所から運(yùn)ばれてきた可能性がある」と指摘?!复罅郡畏Y物倉庫の発見は、黃山遺跡の玉石器産業(yè)を背景にした貿(mào)易による繁栄を示している」との見方を示す。
南陽市臥竜區(qū)蒲山鎮(zhèn)黃山村に位置する黃山遺跡は、玉石器製造、交流を特色とした集落で、黃河流域の仰韶文化と長江流域の屈家?guī)X文化、石家河文化がこの地で出會(huì)い、互いに融合していた。 (編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2022年12月14日