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「七七事変」後の宛平城の映像、日本軍のプロパガンダの噓を暴く

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版 2023年04月17日15:05

全ロシア國(guó)営テレビ?ラジオ放送會(huì)社は3月21日、中央広播電視総臺(tái)に貴重な歴史映像資料を寄贈(zèng)した。中央テレビニュースが伝えた。

この映像資料は元ソ連赤軍が中國(guó)東北部で日本の関東軍から押収したもので、25分近くにわたる映像にはこれまで公開されたことのない數(shù)多くのシーンが含まれており、日本の侵略者が中國(guó)で犯した侵略行為と途方もない大罪を明らかにしている。

映像には、中國(guó)侵略日本軍が宛平城の城壁の上をパトロールする様子が記録されている。中國(guó)人民抗日戦爭(zhēng)記念館史學(xué)研究部の李慶輝副主任は「『七七事変』(盧溝橋事件)時(shí)には、日本軍の砲兵陣地が宛平城東城門付近にあった。映像にある崩れた城壁は日本軍の砲弾によるものだ。宛平城占領(lǐng)後、日本軍は迅速に國(guó)旗を掲げ、武器?裝備及び人員を大量に派遣した。これは彼らの中國(guó)侵略が偶然ではなく、前々から企んでいたものであることの証拠でもある」と指摘する。

1937年7月7日、日本軍は兵士1人が「行方不明」になったと噓をつき、「七七事変」を引き起こした。関東軍が畫策?撮影したこの映像で、日本軍は責(zé)任を完全に中國(guó)側(cè)に転嫁している。

第二次世界大戦終結(jié)後、極東國(guó)際軍事裁判の判決文には、法廷で事実を確認(rèn)した「七七事変」の経緯が詳細(xì)に記されている。判決文は「1937年6月から日本軍は盧溝橋付近において毎晩激しい夜間演習(xí)を行った。従ってこの事件は緊張と不安の雰囲気の中で起きた」「1937年7月7日夜10時(shí)頃、日本軍は演習(xí)後に行方不明になった兵士がいると稱し、その捜索のため宛平城に入れることを要求した。雙方の代表が現(xiàn)地で共同調(diào)査を行っている時(shí)に、日本軍は宛平を三方から包囲して射撃を始めた」としている。専門家は「日本の各回の中國(guó)侵略行動(dòng)を振り返ると、様々な口実を設(shè)けて國(guó)際社會(huì)の耳目を惑わせるのが常套手段だった」と指摘する。

「七七事変」勃発後、日本は中國(guó)に対する全面的侵略を開始した。中國(guó)の人々は安住の地を失い、殘忍に殺害されることさえあった。1937年7月29日、北平(北京の舊稱)が陥落した。

中共中央黨史研究室が行った抗日戦爭(zhēng)時(shí)の人的?経済的被害に関する調(diào)査研究によると、日本軍による北平陥落時(shí)に、1萬(wàn)人以上の民間人が死亡または行方不明となった。しかし、日本軍が畫策?撮影した映像に映っているのは、依然として普段通りの生活を送る北平市民の姿だ。このような「美化」された映像は、日本軍をバックにした「満州映畫協(xié)會(huì)」によって製作された。専門家によると、「満州映畫協(xié)會(huì)」の理事長(zhǎng)は日本の特務(wù)機(jī)関員だった。中國(guó)侵略戦爭(zhēng)時(shí)、彼らは映像を通じて植民地思想を植え付け、侵略行為を美化した。これは「中國(guó)を以って中國(guó)を制し」「戦を以って戦を生む」日本の侵略手段だった。(編集NA)

「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2023年4月17日

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