今から1200年前、空海は遣唐使として中國(guó)西安に留學(xué)し、帰國(guó)した後に災(zāi)難を除くために四國(guó)に88ヶ所の霊場(chǎng)を設(shè)置したと伝えられている。信者の間では、空海は高野山で沒(méi)した時(shí)、即身成仏(生きながらにして仏になること)したと考えられている。つまり空海は「死んだ」のではなく、今も生き続け、 永遠(yuǎn)の瞑想狀態(tài)に入りながら仏教の布教を見(jiàn)守っているという。そして、弟子たちが88ヶ所の霊場(chǎng)を巡り、空海は弟子たちの目を通して霊場(chǎng)の変化を観察し、そうすることで同時(shí)に自分もお遍路さんとなり、世の中のことを把握していると言われている。1200年以上を経て、お遍路は現(xiàn)在、四國(guó)の一種の伝統(tǒng)となっており、遍路をしている人に地元の人々は喜んで食べ物を分け與えたり、一晩家に泊めてあげたりして「おもてなし」する。
「坊主の宿」の構(gòu)想を紹介する平等寺の副住職?谷口真梁さん
近年、西洋人もお遍路のグループに加わっており、その文化は世俗化するようになっている。元?dú)荬菚r(shí)間のある人なら、やはり歩いて88ヶ所を巡るのが一番いいものの、車(chē)で巡る人もいれば、一度に全てを巡るのではなく、何回か、時(shí)には何十回かに分けて88ヶ所を巡る人もいる。統(tǒng)計(jì)によると、毎年、約10萬(wàn)人がお遍路しており、うち、徒歩の人が約5000人。それほど多くないように聞こえるかもしれないが、それらの人の宿舎先をどうするかが徳島県では大きな課題となっていた。
徳島県は四國(guó)の東部に位置する人口約75萬(wàn)人の小さな県。お遍路の88ヶ所の霊場(chǎng)のうち、23ヶ所が徳島県にある。霊場(chǎng)と霊場(chǎng)の間の距離は、數(shù)百メートルと近いものもあれば、數(shù)十キロ離れているものもある。多くのお遍路さんは早朝に出発して、日が沈むと足を止め、適當(dāng)な旅館が見(jiàn)つからない場(chǎng)合は野宿することが多い。
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