「抗日戦爭勃発80周年」を迎えたのを機に、河北省滄県の農(nóng)民?曹文通さん(67)は、砂や石を運んできて、舊日本軍が中國を侵略した後に殘していった望樓を補修した。中國を侵略した舊日本軍が殘した望樓は、華北地區(qū)では珍しく、証拠を保存し、國の恥を忘れてはいけないことを人々に伝えるためにと、曹さんはボランティアでこの望樓の補修を31年間続けている。新華網(wǎng)が報じた。
1986年から、曹さんは人里離れた野原にある望樓の近くに住み、1日中そこを見張っている。望樓の南側(cè)は一面の畑地で、東側(cè)には京滬(北京-上海)鉄道の舊線路が殘っている。曹さんが保護を申請し、そこには今でも約200メートルのレールが殘っている。曹さんによると、「當時、舊日本軍が望樓を建設(shè)した主な目的は、この鉄道を守り、奪い取った物資を運ぶため」という。
軍隊で5年間勤めていた曹さんは、望樓に複雑な思いを抱いている。今では年を取り、體も弱って思うように動かないものの、それを守ることに喜びを感じている。村の子供たちからは、「抗日戦爭のことを話してくれる曹おじいさん」と呼ばれ、曹さんの話には、子供たちだけでなく、中國全國からやって來る見學者も喜んで耳を傾ける。昨年は、南京や瀋陽、香港地區(qū)などから観光客數(shù)百人が來たという。
舊日本軍は望樓を建てる際、刀を振りかざして、近くの村の村民に各家からレンガ5個と労働者1人を出すようにと強制した。3階建ての望樓が完成すると、舊日本軍は近くに兵舎を建設(shè)し、兵士約50人がそこに駐在した?!竿麡扦伪冥摔香|弾の跡がたくさんある。それは、當時、八路軍が望樓を攻撃した証拠」と曹さん。
當時のことを語るたびに、曹さんは胸が詰まる思いがするといい、「歴史を銘記し、烈士をしのび、平和を大切にし、未來を切り開かなければならない。歴史を銘記するためには、このような証拠となる実物、當時のことを代々語る人々が必要だ」とした。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年7月11日
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