米國(guó)はこのほど朝鮮への観光目的の渡航を禁止することを明らかにし、9月1日より施行される。ジャーナリストや人道目的など特殊なケースを除き、米國(guó)の一般市民は朝鮮への渡航が不可能となる。しかしそんな中でも一部のアメリカ人は、禁止令施行前の最後のチャンスとばかり朝鮮旅行へと出発していた。
北京首都國(guó)際空港は米國(guó)人が朝鮮旅行へ向かうためには必ず利用しなければならない空港となっている。ある米國(guó)人のツアーグループが26日、朝鮮高麗航空のチェックインカウンターの前の列に並び、チェックイン手続きを待っていた。彼らは禁止令施行前最後の朝鮮を訪れる米國(guó)人観光ツアーということになる。
ツアーメンバーの一人であるバージニア州出身のニコラス?バークヘッドさんは、朝鮮観光用のビザを見(jiàn)せ、取材に対して、「朝鮮への観光目的の渡航が禁止されると聞いて、朝鮮旅行を早めた。もともと朝鮮に行く前に2年間朝鮮語(yǔ)を?qū)Wんでおくつもりだったが、來(lái)月から朝鮮に行けなくなることを知り、行けるうちにすぐに行ってしまうことにした」と話した。
同じツアーメンバーのワシントン出身のアリ?カリムさんは、以前は醫(yī)者として働いていたそうで、現(xiàn)在は世界旅行中で、米國(guó)政府の観光目的の渡航禁止について知り、予定より數(shù)ヶ月前倒しで朝鮮旅行することを決めたという。
統(tǒng)計(jì)によると、観光目的の渡航禁止前は、朝鮮を訪れる米國(guó)人旅客が毎年數(shù)百人ほどいた。米國(guó)の大學(xué)生のオットー?フレデリック?ワームビアさんの死が、米國(guó)の観光目的の渡航禁止のきっかけとなったとされている。ワームビアさんは2015年12月に、朝鮮へのツアー旅行に參加。法廷でのワームビアさんの証言によると、2016年1月1日早朝、滯在先の羊角島國(guó)際ホテルの政治宣伝ポスターを盜んで米國(guó)に持ち帰ろうとしたという。
翌日1月2日、ワームビアさんは平壌空港で拘束された。そして2016年3月、ワームビアさんは朝鮮の最高裁で、國(guó)家転覆陰謀罪にあたるとして労働教化刑15年を宣告され、2017年6月13日には、朝鮮は昏睡狀態(tài)にあったワームビアさんを釈放した。同年6月19日、ワームビアさんは米國(guó)で死亡している。(編集YK)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2017年8月31日
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