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2018年1月2日  
 

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中日の相互信頼の「ジェネレーションの崖」をいかに越えるか

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版 2018年01月02日10:22

日中協(xié)會(huì)理事長(zhǎng)の白西紳一郎氏が今年10月に死去したことは、多くの人を殘念がらせた。両國(guó)関係はここ數(shù)年というもの、困難に陥ってきた。だがいかなる場(chǎng)合でも、白西氏は現(xiàn)代中國(guó)の揺るぎない理解者であり続けた。中國(guó)と日本が今、大いに必要としているのは、二つの文化の橋渡しをする白西氏のような人物だ。我々は今日、さらに未來(lái)にわたって、白西氏やその他の「井戸を掘った人」を真剣に理解し、継承していかなければならない。環(huán)球時(shí)報(bào)が伝えた。

中日國(guó)交正?;吻挨摔?、友好団體が中日両國(guó)を結(jié)びつけた。日中友好運(yùn)動(dòng)は、黨派を超え、イデオロギーを超えた國(guó)民運(yùn)動(dòng)となった。だからこそこの運(yùn)動(dòng)は、日本社會(huì)に長(zhǎng)期にわたって根付くことができた。あの時(shí)代には、日本の多くの民衆(zhòng)が素樸に、「日中は再び戦ってはならない」という信念を抱いていた。それこそがこの運(yùn)動(dòng)を推進(jìn)した最小限綱領(lǐng)であり、両國(guó)と國(guó)際社會(huì)にとっては神聖と言える綱領(lǐng)となった。

今日、中國(guó)と日本はいずれも、1950年代のようなカリスマ的な民間運(yùn)動(dòng)のリーダーを欠いている。あの時(shí)代には、東京と北京を往復(fù)するにも數(shù)日を要した。だが彼ら民間のリーダーらは、幾多の苦労も顧みず、両國(guó)の友好の橋渡しをした。その時(shí)代を経て、中日間には1972年以降、4つの政治文書が調(diào)印された。だがこれらの制度をもってしても両國(guó)関係の悪化を止めることができないのはなぜなのか?!溉四芎氲?、非道弘人」(人が道をひろめるのであり、道が人をひろめるのではない)という昔の言葉がある。我々は、紙の上のものにだけ頼っていてはならず、生き生きとした?jī)?nèi)容をそれに注ぎ込まなければならない。

中日の相互理解は、情熱をもって使命を遂行する人によってこそ促される。1980年代には、3000人の日本の若者が中國(guó)を訪れた。それが殘したすばらしい感動(dòng)は今でも日本社會(huì)に生き続けている。彼らの受け入れを擔(dān)當(dāng)した中國(guó)側(cè)の人員もその後、各自の分野で中日交流に貢獻(xiàn)した。30年余り前のあの感動(dòng)を今、どうすれば取り戻すことができるのか。熱意のある若い世代を中日友好のために獲得するにはどうすればよいのか。

1990年代以降、中日間の経済関係は急速に発展したが、「井戸を掘った」人々は次々にこの世を去り、中日間の相互信頼は「ジェネレーションの崖」に直面している。

中國(guó)と日本は近代國(guó)家建設(shè)の過程において、それぞれ異なる歴史的な情念を形成し、それは現(xiàn)在にいたるまで各自の外交政策に影響を與えている。中國(guó)を相手とした日本の「日清戦爭(zhēng)(甲午戦爭(zhēng))」は、歴史上初めて、中國(guó)を上回るポジションと優(yōu)越感とを確立し、その後の日本國(guó)家の統(tǒng)合のための近代化資源となった。こうした資源は現(xiàn)在にいたるまで、今日の日本の対中政策や社會(huì)心理に、ある時(shí)は公然と、ある時(shí)は隠れた形で影響を與えている。中國(guó)も同様、外部の脅威に対する民族の一致団結(jié)を抗日戦爭(zhēng)の時(shí)期に実現(xiàn)し、この民族の成功體験を國(guó)家建設(shè)の過程に融合することに成功した。

本來(lái)であれば、このような歴史的な情念は、1950年代に、強(qiáng)大な國(guó)民運(yùn)動(dòng)と先見を備えた政治家の推進(jìn)を通じてコントロールされたはずだった。だがここ數(shù)十年間で中國(guó)が歴史的な大國(guó)の地位を回復(fù)し、日本経済が長(zhǎng)期的に停滯し、國(guó)際情勢(shì)が変化したことなどを背景として、雙方の交流とコントロールは斷裂を余儀なくされた。中日両國(guó)は、領(lǐng)土や歴史認(rèn)識(shí)によってもたらされた対立を完全になくすことはできないかもしれないが、交流を通じて、「大同」を求めながら、「大異」は殘し、対立をコントロールすることはできるはずだ。

だが現(xiàn)在、日本の若い世代は、中國(guó)に対する関心を欠いている。冷戦後の教育は、日本の若い世代の中國(guó)観に深刻な影響を與えた。日本の知識(shí)界は新たなパラダイムに基づいて中國(guó)を解釈している。両國(guó)のメディア業(yè)界人の多くは1990年代に教育を受けており、それまでの世代とは大きく異なる。我々は、お互いのこうした認(rèn)識(shí)の溝を軽視してはならない。


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