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竹澤真利さん「殘すこと、伝えること」

人民網(wǎng)日本語版 2019年07月30日13:27

JICAイベントでの「貿(mào)易ゲーム」。

長(zhǎng)年にわたり、中國(guó)ではごく普通の、愛らしい日本の若者たちが常に活躍してきた。彼らは自身の知識(shí)と熱意を中國(guó)の地に捧げてきた。彼らの中には社會(huì)人になったばかりの若者もおり、中國(guó)語もほとんど話せないものの、努力と楽観的な姿勢(shì)で、異國(guó)の地で人としての価値を?qū)g現(xiàn)させようとしている。日本國(guó)際協(xié)力機(jī)構(gòu)(JICA)が中國(guó)に派遣するボランティアたち、それがこうした若者たちだ。ボランティアたちは通常、1~2年間中國(guó)に滯在し、そのほとんどが條件的にも厳しい遠(yuǎn)隔地や貧困地域へと派遣され、そこで教育や醫(yī)療といった業(yè)務(wù)に従事し、現(xiàn)地の人々と一緒に生活する。人民網(wǎng)日本語版では「中國(guó)の日本人ボランティア」コンテンツにおいて、こうした日本人ボランティアたちが中國(guó)で経験したエピソードや思いを紹介する。

今回紹介するのは、前後2回にわたって中國(guó)で日本語教師として活動(dòng)した竹澤真利さんが、今回の活動(dòng)で感じた1回目とは異なる所感だ。「青年海外協(xié)力隊(duì)」の隊(duì)員として中國(guó)に戻ってきた竹澤さんは、「現(xiàn)地の人々と共に暮らし(同生活)、共に働き(同工作)、共に考える(同思考)」という「三同主義」の理念を?qū)g踐し、授業(yè)以外でも中國(guó)の人々との交流を積極的に行った。そして協(xié)力隊(duì)としての任期終了を前にした竹澤さんは、何を殘していくべきか、何を伝えていくべきかに気づくのだった。

JICAを巻き込んだイベント「今夜はJICAナイト!グローバル人材を目指す皆さんへのメッセージ」のイベントで。

「今夜はJICAナイト!」イベントを參加する者たちの全員寫真。

5年前のちょうどこの時(shí)期だっただろうか、私は中國(guó)のある大學(xué)で「外教」として學(xué)生たちが會(huì)話練習(xí)する姿を見守っていた。授業(yè)後にクラスの集合寫真を撮った後、ある學(xué)生が教務(wù)室へ向かって歩いていた私に「最初は日本語に興味がありませんでしたが、先生のおかげで、だんだん日本語が好きになりました。ありがとうございます。」と言ってくれた。だが、殘念なことに私はその數(shù)か月後に日本語教師を辭め、日本へ帰國(guó)した。日本で再就職先の職場(chǎng)へ向かっていたある朝、ふとその學(xué)生のことを思い出した。そんな時(shí)、青年海外協(xié)力隊(duì)をウェブサイトで見つけ、複數(shù)あった各國(guó)の日本語教師大學(xué)派遣の中から中國(guó)の湖南大學(xué)を志望した。

正直、前回中國(guó)にいたとき、中國(guó)人のある程度の習(xí)慣や言語にも馴染めた面もあれば、理不盡だと思う経験もあった。一般的に「中國(guó)に2、3年も住んでいれば、中國(guó)のことはわかってくれている」と言われることもあったが、結(jié)局、両國(guó)に優(yōu)劣をつけるという考えしか持てていなかったような気がする。中國(guó)での生活は體験できたものの、中國(guó)に対する偏見は拭い切れなかった。

 

會(huì)話授業(yè)の風(fēng)景。グループに分かれてディスカッション中。

青年海外協(xié)力隊(duì)の理念に、「三同主義」、現(xiàn)地の人々と共に暮らし(同生活)、共に働き(同工作)、共に考える(同思考)、というのがある。今回、「青年海外協(xié)力隊(duì)」として中國(guó)に戻ってきた私は、この理念を?qū)g踐し、授業(yè)以外での中國(guó)の人々との交流も積極的に行った。

會(huì)話の授業(yè)風(fēng)景。スピーチの発表をしてもらい振り返りをしているところ。

よく人は「中國(guó)人はこう」や「日本人はこう」という言葉にとらわれ、すぐカテゴライズしてしまいがちになるが、中國(guó)では日本以上に広い範(fàn)囲で人、もの、文化が國(guó)內(nèi)で入り混じり、國(guó)內(nèi)規(guī)模でのグローバル化が起きている。その中で大學(xué)入學(xué)後に新しい場(chǎng)所で生活を始める學(xué)生たちの話や現(xiàn)地に出稼ぎに來ている方の話を聞くと、慣れない環(huán)境でストレスと戦ったり、楽しみを見つけたり、一方で勉學(xué)や仕事などの拘束が生活にはあって、自分なりの生活スタイルを模索している。たくさんの中國(guó)人の方と觸れ合い、彼らの生活を見て、一人ひとりの色が感じ取れるようになった。何気ない毎日の生活に加わり、私自身も彼らとともに奮闘してみた。やはり経済発展の中で改革真っ盛りにある中國(guó)の生活は以前よりも一層時(shí)間の流れが速くなっていた。平凡な毎日を送り、たまに顔を上げて、自分が日本人であることをふと思い出し、客観視してみる?!袱长臁⑷毡兢坤盲郡椁浃盲沥悚い堡胜い趣预铯欷毪螭坤恧Δ省工人激Δ?、ルールに弱いと言われる日本文化から抜け出せたようで、にやりとしてしまうこともある。そうやって、自分が変わっていくのを?qū)g感していた。

「外を見て內(nèi)を知る」ということばがある。協(xié)力隊(duì)としての活動(dòng)は終わってしまうが、すでにもう活動(dòng)後に続く延長(zhǎng)線が見えているような気がする。これも若い力と情熱で日本各地から世界各地へと派遣された協(xié)力隊(duì)に與えられた暗黙の使命なのかもしれない。

指導(dǎo)した學(xué)生が「中華全國(guó)日本語スピーチコンテスト華中地方予選」で特別賞を受賞。2年連続で決勝戦に出場(chǎng)した。

改めてこの2年間を振り返ってみると、私が當(dāng)初志していたのは、「殘す」、「伝える」ということだった。やり方は自由で、何の制限もない。大學(xué)派遣とはいえ、活動(dòng)の場(chǎng)は授業(yè)に限らない。足浴、レジ、道端、団體旅行、生活のすべてが活動(dòng)の場(chǎng)だった。その中である中國(guó)人の方が「存在感」という言葉を教えてくれたのが今も印象に殘っている?!溉摔吮匾趣丹欷毪长趣?、存在感が生まれる。人はそこから自分の価値を見出しているのかもしれない。助け合いも尊重もそういうところから生まれてくるのかもしれない」と。中國(guó)人との交流は、中國(guó)語にも日本語にもある當(dāng)たり前のように存在する言葉のその奧にある無意識(shí)化されていた概念を新たな角度から意識(shí)化させてくれることがある。

授業(yè)以外でも學(xué)生と交流。中國(guó)の大學(xué)生の今を知ることができた。

帰國(guó)前に乗ったタクシーで運(yùn)転手が「日本とは歴史上いろいろあったけど、最近は中日関係もよくなったね」と笑顔で私に言った。私は「そうですね。今が未來の歴史になるんだから、不思議なものですね」と言った。人の心にどんな言葉が殘るのかは本當(dāng)に人それぞれだが、日々の一期一會(huì)の出會(huì)いの中にも殘るものがあればいい。そのような何かをこれからも伝えていきたいと思う。

(青年海外協(xié)力隊(duì) 竹澤真利 湖南省湖南大學(xué)派遣 日本語教育)

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「人民網(wǎng)日本語版」2019年7月30日

  

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