店內(nèi)を消毒し、新鮮な野菜を準(zhǔn)備し、カレーをじっくり煮込むというこうした約2時(shí)間の準(zhǔn)備を経て、藤本祥一さん(53)が四川省成都市武侯區(qū)で経営する小さな日本料理店は午前11時(shí)半ごろから客を迎え始める。3月中旬に営業(yè)を再開して以來、藤本さんの店は少しずつ活気を取り戻し、今は食事時(shí)間帯になると列ができることもあるほど?!感滦庭偿恁胜餍肖筏皮い科陂g中は店を閉めていた。営業(yè)を再開して、馴染みのお客さんを見た時(shí)、とても親しみを感じた」と藤本さん。中國(guó)新聞網(wǎng)が報(bào)じた。
貿(mào)易の仕事に従事していた藤本さんは、1997年に、成都で貴州省出身の李艷さんと出會(huì)い結(jié)婚。日本で7年生活した後、2004年から、二人が出會(huì)った成都を拠點(diǎn)にして暮らすようになった。そして、2012年に、テーブル10卓足らずの小さな日本料理店をオープンさせた。
「店の経営狀態(tài)はずっと良く、新型コロナの流行期間中も客離れしてしまうことは全く心配していなかった」と話す藤本さんは、繁盛しても店を拡張することも、2號(hào)店を出すこともしてこなかった。その理由について、「店が大きすぎると、私たち夫婦では手が回らなくなり、料理の味が落ちることが心配だから」と説明する?!浮亥ⅴ氓去郓`ムな店に対する憧れ』がある。料理一つ一つを思いを込めて作り、成都の市民に日本の家庭料理の味を味わって、その背後にある日本の文化を知ってもらいたい」。
また、「この店を始めた時(shí)、成都には外國(guó)の料理を出すレストランはほとんどなかった。でも、今は、この『美食の都』で、各國(guó)の美食を食べることができる」とし、これまで見てきた成都の変化について、藤本さんは「どんどんグローバル化」していると話す。そして、「経済がものすごいスピードで発展している!90年代に初めて成都に來た時(shí)と比べると、都市の様子が一新し、人々が來ている服もオシャレになり、異國(guó)文化に対してもどんどん寛容になっている」とした。
「成都で生活している日本人として、架け橋となり、飲食を通して中日文化交流に取り組みたいと思っている」と話す藤本さんは、料理を提供する合間に、客と気さくに交流し、日本の有名な観光地や人的?文化的風(fēng)情、飲食文化を紹介したり、三國(guó)志の文化、パンダなどが日本でとても人気であること、四川料理の店が日本でどんどん増えていることなどを話している。
藤本さんと結(jié)婚して20年以上になる李さんは、すでに本格的な日本の料理を作ることができ、二人で一緒に小さな店を経営し、共に支え合う暮らしを楽しんでいる。そんな李さんは、「四川料理はとてもからいのに対して、日本の料理はあっさりしている。四川と日本では気候や文化が違うから、その違いができた。食べ物を通して、一つの場(chǎng)所を理解するというのは、大衆(zhòng)密著型の方法だと思う」と話す。
仕事の合間を見つけて、藤本さんと李さんは、新たな料理のインスピレーションを得るために、美食を探し求めて、「スローリズム」の成都のいろんな所に足を運(yùn)んでいるという。藤本さんが四川と日本の味を組み合わせて生み出した牛肉鍋は、店で大人気の一品となっている。普通話(標(biāo)準(zhǔn)中國(guó)語)を流ちょうに話す藤本さんは、「妻の尻に敷かれている」と四川省の方言を使って笑いながら話し、「今ではからい料理も好きになったし、成都式の麻雀もできるようになった。また、時(shí)々茶館にも行く。僕はもう成都人」と語る。
そして、天ぷらを客のテーブルに置きながら、「店を初めて8年の間に、この通りでは、経営者が変わった店もたくさんある。でも、僕たちはずっとここにいる」と話し、「馴染みの味の料理を食べると、過去の良き思い出が蘇る。お客さんの記憶に殘るような味をずっと殘したいと思っている。そして、10年、20年後に、またこの店に來て食事をした時(shí)に、ちょっとした幸せな気分を思い出してもらいたい」と笑顔で語った。
また、「日本の親戚や友人に、成都の美食や歴史、文化についてよく話す。みんな、中國(guó)を旅行して、いろんな文化の趣を肌で感じることを楽しみにしている」と話した。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2020年6月10日