五.王 健宜先生
「言語」は、今年も応募論文數(shù)では一番多い分野ですが、論文のレベルが年々上昇しているという喜ばしい現(xiàn)象を認(rèn)める一方、依然として問題が多く見られた。以下、その問題點(diǎn)を敢えて指摘し、所感とする。
1、學(xué)部生の卒業(yè)論文としては、決して適切ではないテーマの論文は數(shù)多く存在している。いや、むしろ前よりは多くなったような気がする。テーマ自身が大きすぎて、內(nèi)容は雲(yún)を摑むような話で、論文とは言えないものもあれば、感想文のような或いは散文のようなものも多々ある。おそらく、これは、急に新設(shè)された日本語科にとっては、論文作成と指導(dǎo)という作業(yè)は一度も経験していないところでは、どうすればいいか分からないからではないと思う。よって、これらの新設(shè)學(xué)科に対する「論文作成と指導(dǎo)」に対する指導(dǎo)は、「日本語教學(xué)指導(dǎo)委員會」より実施することは、急務(wù)だと思われる。
2、論文の格式(書式)の問題だが、注釈と引用、または論文作成の段階で使われたデーターの扱い方なども、必ずしもきちんとできているとは言えない。これは、內(nèi)容も大事だが、書式(格式)も論文としての必須條件という認(rèn)識がまだ一部の大學(xué)或いは指導(dǎo)教官には定著していない表れであろう。そもそも、注釈や引用或いは書式の整っていない論文は、所屬大學(xué)と指導(dǎo)教官の責(zé)任が大きい。なぜかと言えば、これらの問題は、論文のレベルとか云々する以前の問題で、學(xué)術(shù)規(guī)範(fàn)上の問題であるからだ。
3、研究方法として気になるのは、先行研究と基礎(chǔ)理論に対する散漫な態(tài)度が隨所見られていることが挙げられる。これは、強(qiáng)いて言えば根本的には學(xué)問に対する態(tài)度の問題でもあろう。論題に関する先行研究に全く觸れていないとか、基礎(chǔ)理論を間違えているとかいうことは、學(xué)問をする上で大問題として、注意すべきだと思う。
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