2012年釣魚島(日本名?尖閣諸島)の「國(guó)有化」問(wèn)題が起こった際、本來(lái)日中國(guó)交正常化40周年を記念して拡大されるはずだったさまざまな日中民間交流がすべて中止となってしまった。そんな中、最も打撃を受けたのは、観光業(yè)だった。同月の訪日中國(guó)人観光客の數(shù)は激減し、日本の中國(guó)向けの観光業(yè)界に壊滅的な打撃をもたらした。
日中両國(guó)の國(guó)民は、日中関係の急激な冷え込みを痛切に実感した。2014年4月、両國(guó)の商工界は、「現(xiàn)在、日中関係は最も危険な狀況にある」という聲明を出した。
しかし、危険な時(shí)は関係の雪解けの始まりでもある。同年4月、日本を訪れる中國(guó)人の數(shù)が急速に増え始め、前年比の約2倍となった。
■中國(guó)人観光客はなぜこんなにも日本に惹かれるのか?
これは、買い物のほかに、文化的な要素が大きい。中國(guó)のネット上で語(yǔ)られる言葉に、「唐時(shí)代のものを見るなら日本へ、明時(shí)代のものを見るなら韓國(guó)へ」というものがある。このため、「小長(zhǎng)安」(京都)を見るために日本を訪れる中國(guó)人観光客も多い。1カ月前、會(huì)議に出席するため京都を訪れた際、高臺(tái)寺や嵐山で多くの中國(guó)人観光客に會(huì)った。中には比較的辺鄙な岐阜県白川郷を指定し、日本の伝統(tǒng)的な建築文化を見學(xué)したいという人までいた。これらの木造建築物には、中國(guó)の古代木造建築をベースにしたものが數(shù)多くある。古代の日本人が現(xiàn)地の気候や習(xí)慣に合わせ、中國(guó)の技術(shù)を改良したことで、今我々が目にしている建築物の姿となった。これらの古い建築物や京都の古剎、奈良の古寺のすべてに、中國(guó)の文化的な要素が含まれている。殘念ながら中國(guó)ではすでに流失してしまったため、日本に行かないと見ることができない。
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