今年1月には、2年余りにわたったブラジル駐在を終えた。2014年にブラジルで開(kāi)催されたワールドカップC組の試合では、日本チームが1対2でアフリカのコートジボワールチームに敗れた。日本チームはグラウンドでは敗れたが、グラウンドの外では勝った。なぜなら、日本のサッカーファンたちが雨具を著て、會(huì)場(chǎng)內(nèi)のゴミ拾いをする寫(xiě)真がネットに載せられたからだ。これらの寫(xiě)真はツイッターやフェイスブックといったSNSを通じて世界各地に広まった。
日本の國(guó)際的なイメージがアップする一方で、多くの人々はまだ人類が忘れてはならない歴史を忘れることはない。
日本人は本當(dāng)にこんなにも簡(jiǎn)単にあの歴史を拭い去ることができたのか?いや、そうではない。
著名作家であるイアン?ブルマの著書(shū)「戦爭(zhēng)の記憶―日本人とドイツ人」で、日本人の第二次世界大戦に対する認(rèn)識(shí)がどうして我々と「つながる」ことがないのかその原因を知った。ブルマは日本人とドイツ人の比較を通じて、ドイツ人にとっての第二次世界大戦とはスターリングラード攻防戦でも、ベルリンの戦いでもなく、アウシュビッツ収容所が発見(jiàn)された瞬間だとし、日本人にとっては真珠灣攻撃でも、ミッドウェー海戦でもなく、広島の原爆なのだとしている。
今度のG7サミットは広島で開(kāi)催される。日本は特にこの原爆投下の歴史を強(qiáng)調(diào)し、全世界からユース非核特使を集め、サミットという機(jī)會(huì)を通じて、ボランティアから日本の國(guó)家イメージを國(guó)際舞臺(tái)で示そうとしている。このような巧妙な國(guó)際外交手段により、原爆の悲慘な歴史を日本國(guó)民に伝えていくことができるだけでなく、國(guó)際的には反核を通じて自國(guó)の侵略者としての本來(lái)の姿を隠すことができる。原爆は説得力と合法性のある外交カードであり、日本はこのカードを使って、核保有または保有しない國(guó)々の間をまわり、積極的に議題を設(shè)定し、自國(guó)に有利に運(yùn)ぼうとしている。
戦後の日本は、大國(guó)の冷戦が続く中、アメリカとの同盟を利用し、次第に戦爭(zhēng)の罪という重荷を捨て去り、國(guó)家イメージを変えていった。しかしそれにより中日両國(guó)は信頼のおける政治的基礎(chǔ)を構(gòu)築することができなかった。
70年後、中國(guó)は日本を越えて、世界第2位の経済大國(guó)となった。一方の日本は弛まぬ努力を続け、アジアで良好な國(guó)家イメージを作り上げた。中國(guó)と日本の両國(guó)の経済格差は縮まるばかりだが、両國(guó)の國(guó)民の心理的な距離は益々開(kāi)くばかりだ。中國(guó)人は日本人からかつての日本兵の影を追い払うことができず、日本人もまた巨大な中國(guó)という影に恐怖を覚えている。
この世界で、文化的にも最も共通點(diǎn)の多い國(guó)であるのに、どうしてこんなにも距離があるのだろうか?という點(diǎn)について、とても知りたいと思う。わずか5日間の訪問(wèn)で、正確にこの「距離」を推し量ることはできないかもしれない。しかしここから私の「測(cè)量」の仕事はずっと続いていくだろう。(編集TG)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2016年4月20日
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