なぜなら、日本人なら誰もが、小學校から高校までの間に、このような知識を學ぶからだ。これらの知識のおかげで、私は潘家園にある骨董品について理解できた。だが、日本以外の國からやって來た留學生の多くは、そのような知識を學習した経験がない。中國関係の専攻分野でない限り、彼らが中國の文化や歴史を學ぶ機會はほぼ皆無だ。あるクラスメートは、「ヨーロッパの學生が學ぶ內容の多くは、ローマ帝國など、ヨーロッパ史とヨーロッパ文化が中心だ」と教えてくれた。私もローマ帝國について學校で學んだことはあるが、ヨーロッパに関して私が持っている知識は、ヨーロッパ人の知識には全く及ばない。このようにみると、ある國の歴史や文化を學んでいるかどうかは、一般的に、國家間の交流の多少に左右される場合が多い。ローマ帝國がヨーロッパ全體に極めて大きな影響をもたらしたのと同様、日本人にとって、古代中國が日本に及ぼした影響は極めて大きい。つまり、日本文化について語る際には、中國文化に觸れない訳にはいかないのだ。
表面だけを見れば、今の日本文化は、米國からの影響がやや大きいように見える。だが、実際のところ、米國文化が日本に入ってきたのはほんの100 年前のことだ。中國との交流の歴史と比べ、米國と日本の交流の歴史はごく淺い。20世紀以降、中日関係は苦難の道が続き、今もなお、両國関係は好転したとは言えない。これは極めて殘念なことだ。私は、古代から長く続いてきた中日交流は、我々が意識するしないに係わらず、非常に底深いものだと認識している。私は、中日両國の國民がお互いに仲睦まじい関係を保ってほしいと心から望んでいる。私たちは一衣帯水の隣國なのだから、付き合わない訳にはいかない。この道理を「李白の錠」が私たちに教えてくれていると、私は実感している。(編集KM)
「人民網日本語版」2017年3月24日
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