中國人が日本社會(huì)の良い所を探し、それに學(xué)ぶのは間違いなくいいことだ。しかし、謙虛な気持ちで學(xué)ぶということと盲目的に日本を稱賛することは異なり、障子の紙よりも薄いような表面的な部分だけを見てはならない。日本人が地下鉄で通話しないといっても、郷に入れば郷に従えという考えに基づいて、日本で働いたり、勉強(qiáng)したり、旅行したりするときにその社會(huì)的習(xí)慣を尊重しなければならないというだけのことであって、地下鉄で通話しないのが正しくて、通話するのは間違いとみなすことはできない。また、日本の考え方が最先端で、レベルが高く、中國の考え方は遅れていてレベルが低いとみなすこともできない。日本人がお壽司や刺身を食べているからといって、中國人もすぐに川に入って魚を捕まえそれを刺身で食べる必要はないはずだ。日本の小學(xué)生は6年間同じランドセルを使うからと言って、中國人も1年生の子供に重くて大きな6年生と同じカバンを背負(fù)わせる必要はないはずだ。日本の學(xué)生が冬でも短パン、スカートで學(xué)校に通っているからと言って、中國の子供も足を出した服裝で學(xué)校に行かなければならないわけではないはずだ。
グローバル化のメリットの一つは、さまざまな國の人たちが互いの文明に觸れることができる點(diǎn)だ?,F(xiàn)在、日本人が地下鉄で通話しないのを見て、絶賛する外國人もいれば、それを誇りにしている日本人もいる。しかし、將來、日本社會(huì)の進(jìn)歩や変革を見た時(shí)に、地下鉄で攜帯を使えるようになったことを高く評価する日が來ることはないと誰が言えよう。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年4月28日
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