

◆私心なき協(xié)力
上海バレエ団団長(zhǎng)の辛麗麗さんも森下さんとの深い縁の持ち主だ。
1987年と2007年の2回にわたり、ニューヨーク國(guó)際バレエコンクールで偶然出會(huì)い、バレエに人生を捧げる二つの魂が離れがたい縁を結(jié)ぶことになった。辛さんは、「彼らはバレエを神のように崇めていた。森下さんは60歳でも『くるみ割り人形』を演じていた。私は當(dāng)時(shí)、それを見(jiàn)ながら思わず泣いてしまった。蕓術(shù)のために狂おしいほどにすべてを捧げるその精神に驚かされた」とした。
辛麗麗さんは松山バレエ団の「白毛女」について、「清水正夫?松山樹(shù)子夫妻とその息子の清水哲太郎氏、それから森下さんと中國(guó)の間には、切っても切れない縁がある。周恩來(lái)総理は1971年、私たちのバレエ団が作った白毛女の衣裝をプレゼントした。その後、この白毛女のかつらが古くなっているのを見(jiàn)て、彼らにサプライズで、新しいかつらを森下さんにプレゼントした」と語(yǔ)った。
かつての恩を今も忘れず。松山バレエ団は中國(guó)からの贈(zèng)り物を今も心に留めている。
上海バレエ団が「くるみ割り人形」の公演の練習(xí)を始めようとしていることを耳にした清水氏は自ら代表団を率いて上海に駆けつけた。そして松山版の「くるみ割り人形」を無(wú)償で、余すところなく披露した。また辛さんからの電話で、バレエ用の衣裝の生地を購(gòu)入しようとしていることを知ると、清水氏は「麗麗さんが必要なら私がプレゼントします。日中友好のため、バレエ外交のためにも必ずサポートします。私たちはアジアのバレエ、中國(guó)のバレエを振興するのです」と言ったのだという。
清水氏は1985年の回想録の序文に「私が専攻したのは河川、港灣、道路、建築などだったが、今後は文化交流という中心的な課題をめぐり、バレエという日本で新興した蕓術(shù)を用い、日中両國(guó)間に橋をかけることを決めた。小さな橋であっても、自分の一生を捧げる」と記した。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2017年5月25日
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