唐亜明さん(寫真上)と木下晉さん。
【四川に行ってパンダについて理解深める】
「日本人がパンダのことを初めて知ったのは、中國と日本の國交が始まった時(shí)。當(dāng)時(shí)、中國が日本にジャイアントパンダの『ランラン』(メス)と『カンカン』(オス)を贈(zèng)り、日本中にパンダ?ブームが巻き起こった。日本人がパンダを大好きになったのもその時(shí)から。子供から大人までがパンダを見るために動(dòng)物園に行き、混雑時(shí)には3-4時(shí)間並ばなければならないほどで、歩きながら放飼場(chǎng)を見るだけだった。また、せっかく放飼場(chǎng)の前に來たのに、パンダが寢ていて、子供が泣き出すこともあった。パンダのちょっとしたしぐさでも、日本中で話題になる。特に、妊娠、出産の時(shí)は、日本中でトップニュースになる」と唐さん。
パンダに関する本を日本で何度も企畫してきた唐さんは10年以上前に、パンダを描いてほしいと、日本の鉛筆畫家の第一人者と言われる木下さんに依頼した。最初は上野動(dòng)物園に行ってパンダを描いていたものの、2013年8月には、二人で中國四川省に行って描くようになった。
唐さんによると、「子供たちに、イラストや擬人化されたパンダではなく、中國の大自然の中で生活しているジャイアントパンダを見てもらいたかった?!荷违靴螗馈护馊毡兢纬霭嫔绀酩幛浦腥蘸献鹘}物語の著作権を購入して発売された本」だ。
木下さんは取材に対して、「四川省に行った時(shí)の事はとても印象深く、パンダやパンダの生態(tài)環(huán)境などをよく知ることができただけでなく、中國についても深く知ることができた」と話した。
「13年の四川地震が起きて間もない時(shí)だった。途中でパンダが成長する自然環(huán)境をまず見ることができた。以前、動(dòng)物園で食べては寢る赤ちゃんというのがパンダのイメージだった。でも、現(xiàn)地に行って、高い山々がそびえる生態(tài)環(huán)境を目にし、保護(hù)センターの職員からパンダの話を聞き、自然に近い環(huán)境で暮らしている保護(hù)センターのパンダを観察し、パンダがいかに氷河期から今まで生き延びてきたかが少しずつ分かるようになった」。
「例えば、赤ちゃんを2頭産んだら、(メスパンダは)必ず1頭を見捨てなければならず、殘った1頭も成長したら、獨(dú)立させる」。
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