北京の道路は碁盤(pán)の目のようだ。しかも道幅は広い。曲がりくねって細(xì)い道路の入り組む東京から來(lái)た私は、北京の道路に異國(guó)を感じていたものだ。
はじめて北京に來(lái)たのは80年代末だったと思うが、當(dāng)時(shí)の印象は、朝の自転車(chē)の多いことである。20年余りの內(nèi)に別の國(guó)のように発展して変貌してしまった。どれくらいかというと、道を歩いていたら、海外に留學(xué)帰りの北京人に「家に帰る道が分からなくなった」と、道を?qū)い亭椁欷郡椁い扦ⅳ搿?/p>
一番変わったのは、道を走る自転車(chē)の數(shù)が斷然減ったことと、車(chē)の數(shù)が格段に多くなったことで、今ではいつでも何処でも車(chē)の渋滯が起こりうる。渋滯になれば、このアメリカの高速道路のように片道3-4車(chē)線(xiàn)もある道路が巨大な駐車(chē)場(chǎng)に早変わりする。また、びっしりと立ち並ぶ巨大な集合住宅(マンション?アパート)は、ディベロッパーがとにかく儲(chǔ)けを最優(yōu)先するためであろうか、それとも規(guī)制が追いついていないのであろうか、既に一家に車(chē)は複數(shù)臺(tái)の時(shí)代になろうとしているのに、駐車(chē)場(chǎng)が圧倒的に足りていない。住む人だけでも全然足りないのに、その人を訪(fǎng)れる親戚や友達(dá)などは、言うまでもない。その結(jié)果、文字通り道路がそのまま駐車(chē)場(chǎng)になっている。
東京と比べて北京は、太い道路があれど、ブロック(區(qū)畫(huà))の中に自由に入れる道路は少ないので通り抜けができない。おそらく、自由に車(chē)を入れたら、自分たちの區(qū)畫(huà)が駐車(chē)場(chǎng)になってしまって困るからなのか、安全管理のためなのか、それとも別の理由によるのか、分からないが、自分のブロックの車(chē)でなければ通過(guò)すらさせない。これは、人の身體にたとえれば、太い動(dòng)脈はあれど、身體の隅々にまで血液を送る毛細(xì)血管が無(wú)い様な狀況で、道路脇にびっしりと停められた車(chē)はさしずめ血管に付著したコレステロールといったところであろうか。これでは身體(北京の町)はうまく動(dòng)かなくなるだろう。
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