筆者は1988年から3年半、北海道新聞社(本社?札幌)の北京特派員だったが、この「白酒交流」は大好きだった。北海道は黒竜江省と姉妹関係があり、しばしば取材に出掛けた。その時(shí)、実際に取材する前日に取材予定の人たちに集まってもらい宴會(huì)を開(kāi)いた。宴會(huì)の趣旨をいぶかる人も、筆者が文字通り「乾杯」し、中國(guó)語(yǔ)で「皆さん、毛沢東主席の老三編はご存じと思うが、私が中國(guó)語(yǔ)を勉強(qiáng)したころの教科書(shū)は毛主席語(yǔ)録だった」と自己紹介すると次第に打ち解けて會(huì)話が弾んだ。白酒を乾杯し中國(guó)語(yǔ)を操る「変な日本人」というわけだ。先祖が伝えてくれた「ノンベーDNA 」に大いに感謝したものだ。
翌日、二日酔いでふらふらしながら取材先を訪問(wèn)すると、希望の資料はそろえてあり、答えづらい質(zhì)問(wèn)にも笑顔で答えてくれたのは言うまでもない。
さて、「北京白酒會(huì)」は酒豪ぞろいだが、「月曜日開(kāi)催」の効果か二人で1本が「常態(tài)」だ。ただ、毎回、二次會(huì)に出掛ける豪傑もいる。
會(huì)長(zhǎng)のもう一つの任務(wù)は「手酌厳禁」のルールを維持することだ。日本だと「手酌」が當(dāng)たり前だが、中國(guó)の宴會(huì)でいつも感心するのは誰(shuí)かの音頭で乾杯する禮儀が徹底していることだ。筆者は最初に中國(guó)に來(lái)た4半世紀(jì)前はいつも「乾杯」の聲が掛かるのを待っていた。ある時(shí)、學(xué)生時(shí)代の中國(guó)語(yǔ)教科書(shū)に「ご主人の杯をお借りして乾杯を提案します」という一句があったことを思い出し、それからはそれを多用している。
白酒會(huì)ではルール違反を発見(jiàn)すると「○○さんがお飲みになりたいようですので」と手酌の主に聲を掛けるのも會(huì)長(zhǎng)の數(shù)少ない任務(wù)の一つだ。新入會(huì)員には時(shí)々、ルール違反者がいるが、実は「厳格な」入會(huì)審査を行っている。昔は「悪い酒」による「怒り上戸」「泣き上戸」「おしゃべり上戸」などもいたらしく、そうした人物を排除するための審査だ。審査は口頭試問(wèn)(內(nèi)容は秘密)で行われるが不合格者がいたという話は聞いたことがない。またもう一つのルールは「3回連続無(wú)屆欠席は除名」。このルールはなかなか効き目があり、たまに多忙で無(wú)屆欠席が続いた會(huì)員が「3回になったと思うが除名にしないで」という陳情もある。もちろんOK。もう一つのルールは転勤する人たちの「卒業(yè)式」。日本の古い歌「故郷」を合唱し、胴上げで送り出す。女性の胴上げは諸般の事情で行っていない。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年4月9日
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