古人曰く「道を得る者は助け多く、道を失う者は助け寡し」。徒黨を組んで、南中國(guó)海をかき亂し、うまい汁を吸おうとする日本の行為は道義に外れている。そして道義に外れていれば、必ず孤獨(dú)だ。
それは第1に、心がけが悪く、自他共に害するからだ。國(guó)家間に問題や摩擦は避けられない。當(dāng)事國(guó)雙方であれ他國(guó)であれ、平和を重視し、了解と協(xié)力の姿勢(shì)に基づき問題を解決すべきであり、もめ事を引き起こし、摩擦を激化させるべきではない。だが日本の指導(dǎo)者はこの道に反し、関係國(guó)を教唆、無理強(qiáng)い、煽動(dòng)してことを荒立て、天下の亂れることをひたすら待ち望んでいる。だが経験がはっきりと示すように、騒動(dòng)を巻き起こす者は、必ず騒動(dòng)に呑み込まれる。これに例外はない。第2に、権勢(shì)や利益を重視した交わりは、自他共に誤らせる。徒黨を組むのは多くがこうした交わりであり、権勢(shì)や利益を重視した交わりは原則も、是非も、道義も、信用もないのが常だ。このような同盟は虛偽で、當(dāng)てにならない運(yùn)命にある。國(guó)と國(guó)との交わりにおいて一番大切なのは信義誠(chéng)実だ。もし互いに利用し合い、騙し合うばかりなら、裏切りと売り渡し以外に結(jié)末はない。國(guó)際政治においては、相互利益があって初めて協(xié)力があり、ウィンウィンがあって初めて取引が成立する。無條件に他國(guó)の手先にされることを望む國(guó)はないし、永遠(yuǎn)に他國(guó)を操れる國(guó)もない。正しくない徒黨は、往々にして喜劇で始まり、悲劇で終る。自國(guó)の利益のみ考えて他國(guó)を害することを辭さないのなら、同床異夢(mèng)だからだ。各々企みのある多くのいわゆる仲間に、われわれは正義や友好を見たことはない。見えてくるのは四の五の言う挑発、甘い言葉のペテン、胸に一物ある結(jié)託、公然たる恐喝、見せかけだけの手助け、やむを得ない屈服だ。
中國(guó)は平和を愛し、正義を主張し、道理を重んじる國(guó)だ。われわれは外部勢(shì)力のかき亂しなしに、當(dāng)事國(guó)との協(xié)議を通じて問題を解決することが完全にできる。日本は、自らがアジアで何をしたのかを本當(dāng)によくよく省みるべきだ。たとえアジアの発展に貢獻(xiàn)する気がなくとも、アジアの平和を破壊すべきではない。特に、いわゆる「中國(guó)の脅威」を大げさに宣伝することで、自らの継続的右傾化への道を開こうとしてはならない。それは賢明でないし、徒労に終る。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年5月30日
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