1931年から1945年までに中國の戦場では150萬人余りの敵が撃退された。これは日本軍の第2次大戦中の死傷者の70%を占める。日本陸軍の64%は抗日戦爭末期まで中國の戦場に縛り付けられていた。日本が降伏時に中國に展開していた兵力約128萬人は、太平洋と東南アジアの各戦場の日本軍の合計を上回った。
これらの數(shù)字の背後には、中國國民の大きな犠牲があった。14年にわたる抗日戦爭において、中國の死傷者は3500萬人に達し、経済損失は6000億ドルにのぼった。
今年2月、中國の王毅外交部長(外相)は米ニューヨークの國連本部で議長として安保理公開討論を開いた後、メディア向けに談話を発表した。世界反ファシズム戦爭への中國の貢獻をどう評価するかという質問に対し、王部長は、「中國は第2次大戦の主要な戦勝國であり、中國國民は侵略に抵抗して巨大な犠牲を払った。中華民族は平和の創(chuàng)造に歴史的な貢獻を果たした」と語った。
ロシアの著名な政治評論家であるロシア諸民族友好大學のユリ?タフロフスキー教授は、「ソ連赤軍は第2次大戦で両面作戦に陥ることなく、第2次大戦の歐州の戦場で勝利を勝ち取ることができた。その背景に中國の巨大な犠牲があったことを忘れてはならず、中國の顕著な貢獻に感謝しなければならない」と指摘している。
米國の元大統(tǒng)領のルーズベルトは、「もしも中國が抵抗せず、崩壊していれば、どれほど多くの日本兵の師団がほかの方面の作戦へと送られたかわからない。日本兵はすぐにも豪州を取り、インドを取っていたことだろう」と語っている。
ロシアの元指導者のスターリンも、「日本の侵略者の手足が縛られていたからこそ、我々は、ドイツの侵略者の進攻の際に両面作戦を回避することができた」と認めている。
タフロフスキー教授によると、中國は東側の戦場で長期にわたり、日本への抵抗と反撃の役割を演じた。日本が1931年に中國東北部に侵入してから、中國は苦しみながらも自力で戦局を支え続けた。第2次大戦で中國ほど長く抵抗を続けた國はない。
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