1941年9月18日、小林さんは他の日本人と共に「反戦同盟膠東支部」を設(shè)立。正式に八路軍の一員となった。小林さんはメンバーと共に反戦宣伝ビラを書(shū)き、撒いた。日本軍が必ず通る地の壁にスローガンを書(shū)き、武器を捨てて投降するよう促した。日本軍の拠點(diǎn)付近で直接呼びかけも行った。1944年8月には日本人民解放連盟濱海支部長(zhǎng)になり、1955年12月に船で帰國(guó)した。
2005年、小林さんは元在中日本人反戦同盟元兵士訪中団団長(zhǎng)として、中國(guó)人民抗日戦爭(zhēng)ならびに世界反ファシズム戦爭(zhēng)60周年記念行事に招待を受けて參加した。帰國(guó)後、あちこちで報(bào)告や演説を行い、中國(guó)の多大な変化と急激な発展を日本の民衆(zhòng)に伝えた。
抗日戦爭(zhēng)勝利から間もなく69周年。小林さんはすでに高齢だが、日中平和?友好事業(yè)への熱意は老いてますます高まっている?!杆饯挝ㄒ护晤?yuàn)いは生きている間に、本當(dāng)の侵略の歴史を私の子孫に伝え、日中友好が苦労して手に入れたものであり、大切にし、保護(hù)し、歴史の時(shí)計(jì)の針を逆回転させてはならず、日中人民は世々代々友好的に付き合っていく必要があるということを、さらに多くの日本人に知ってもらうことだ」。
小林さんは現(xiàn)在の日本の政治狀況を非常に憂慮しており「首相など日本の政治家はA級(jí)戦犯を祀る靖國(guó)神社を絶対に參拝すべきでない。參拝は日本の過(guò)去の侵略戦爭(zhēng)の美化を意味し、世界反ファシズム戦爭(zhēng)の勝利の成果の否認(rèn)を意味する」と表明した。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年9月2日
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