第2次大戦時に日本が製造した偽札の未完成品を記者に見せる渡辺氏
資料館の開設(shè)は71歳の渡辺賢二氏と切り離せない。1980年代に高校教師の渡辺氏は生徒たちを連れて登戸研究所の職員を取材し、貴重な資料多數(shù)を整理した。渡辺氏は「資料館の開設(shè)は理工學(xué)部や農(nóng)學(xué)部を持つ大學(xué)において特別な意義を持ち、自然科學(xué)の研究に攜わる大學(xué)生に科學(xué)と戦爭との関係を理解させ、考えさせ、科學(xué)をどう利用するかを考えさせることができる??茖W(xué)技術(shù)は戦爭を助長するものにも、平和に資するものにもなる」と述べた。
資料館の資料は、第2次大戦時に中國侵略日本軍が武力では中國を打ち負(fù)かすことができないことを認(rèn)識して偽札製造を開始し、中國をインフレに陥れて経済秩序を麻痺させると同時に、偽札を使用して中國で物資を「購入」していたことを明らかにしている。登戸研究所の偽札製造部門は「秘密中の秘密」とされ続けてきた。日本敗戦時、偽札製造に関する資料は全て焼卻され、當(dāng)時の職員の証言によって初めてこの歴史は知られるようになった。
資料館には、當(dāng)時の偽札製造に関する資料が數(shù)多く展示されている。山田氏によると1942年から1944年までの3年間に、日本軍は現(xiàn)在の価値で20兆円以上に相當(dāng)する偽札を投入した。中國は國土面積が大きいため日本軍は偽札投入によって當(dāng)初の目的は達(dá)成できなかったが、それでも大量の物資を購入した。これには食糧など生活物資だけでなく、日本に送られ続けた金銀など貴金屬もあった。
■歴史を認(rèn)めてこそ悲劇の再演を防げる
山田氏は日本軍による細(xì)菌兵器開発の狀況を特に説明してくれた。渡辺氏が30年前に生徒たちを連れて調(diào)査を行った際に職員から得た資料だ。山田氏は「日本軍が當(dāng)時中國で細(xì)菌戦を行ったことをはっきりと示す確かな証拠がある。だがこうした資料は日本の正式な公文書にはほぼ痕跡がない」と述べた。
![]() | ![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386