文化財のうち最も貴重なのは青石の墓誌(箱)で、墓の主人の身分を明らかにしている。墓誌の蓋には「皇元敕授延安路醫(yī)學(xué)教授故武君志蓋」と書かれている。墓誌によると、墓の主である武敬の先祖は、有名な「儒醫(yī)」だった。宋代以前は「醫(yī)者」の地位が低かったが、北宋の歴代皇帝は醫(yī)薬を重視し、多くの「儒醫(yī)」が現(xiàn)れた。元王朝はかつてないほど醫(yī)學(xué)を重視し、醫(yī)者の地位が高まった。墓誌と文獻の記載によると、武敬の職務(wù)は現(xiàn)在の醫(yī)科大學(xué)學(xué)長に似ており、今日の「教授」という名稱の使われ方とは異なるが、醫(yī)療経験が豊富という共通點がある。
◆「醫(yī)學(xué)教授」、腕を切斷し母を救う
墓の主である武敬は「醫(yī)學(xué)教授」であるが、自分の腕を切斷するという自殺的行為によって母を治療しようとした。
段氏は、「墓誌によると、武敬は母を治療するため自分の腕を切斷するほど親孝行だったという。これは墓の主の孝行ぶりを稱える記述だ。武敬は醫(yī)術(shù)に精通していたが、醫(yī)術(shù)を使わず自分の腕を切斷することで母を救おうとした。これは當時の孝を尊ぶ極端なやり方をありのまま反映している」と説明した。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年4月13日
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