第二次世界大戦が終わり70年が経過したたが、元中國人労働者は、いまだに三菱マテリアルからの謝罪の言葉を耳にしていない。1997年以降、元中國人労働者の生存者と遺族は、東京、北海道、福岡、長崎、宮崎の各地で続々と三菱マテリアルを相手に訴訟を起こしたが、いずれも敗訴した。昨年、第二次大戦中に日本で強制労働を強いられた一部の元中國人労働者と遺族が、三菱マテリアルと別の日本企業(yè)を相手に訴訟を起こし、日本側(cè)からの陳謝と損害賠償を求めたが、今もなお、2社からは積極的な反応は得られていない。
三菱鉱業(yè)は、第二次世界戦爭中に日本が中國人を連行して労働を強いた史実の、ひとつの縮図と言えよう。戦時中、約4萬人の中國人が日本に強制連行され、日本軍國主義と日本企業(yè)から、悲慘極まりない搾取や酷使の被害に遭い、それによって約7千人の中國人労働者が命を落とした。
マーフィー氏は、「戦後70年が経ち、ついに日本人から謝罪の言葉を聴くことができた。非常にへりくだった謙虛な態(tài)度で陳謝した木村氏に誠意を感じた」と語った。
しかし、日本政府と企業(yè)は、米國に対しては「へりくだった」顔を見せているが、被害がより深刻だったアジア諸國に対しては、「橫暴な」態(tài)度を取り続けている。與黨?自民黨からは、安倍政権に対し、「世界文化遺産に登録されたばかりの『明治日本の産業(yè)革命遺産』の一部工業(yè)?鉱業(yè)遺跡で、中國大陸?朝鮮半島出身の労働者が強制労働をさせられたとする歴史的事実を訂正するよう、海外メディアへの働きかけを強化すべき」という聲も挙がっている。
戦後70年、戦爭の被害者であれ加害者であれ、起きた事実を煙に巻くことはできない。日本の戦爭謝罪が米國に対してのみ行われるのであれば、これは、「卑怯者の陳謝」である。また、日本が、米國のご機嫌を取ることを目的に米國人に謝罪して和解を求めたのであれば、これは、「偽善者の和解」である。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年7月21日
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