専門家によると、この墓は盜掘の被害にあっておらず、副葬品がそのまま留められている。最も貴重なのは、墓誌が墓の主の身分を明らかにしていることだ。墓の主は唐補(bǔ)君の夫人である米氏で、雲(yún)安郡の生まれ。その祖先は中央アジアの「米國」(現(xiàn)在のウズベキスタン付近)の人である可能性が高い。墓誌は彼女が聡明で優(yōu)雅であると賞賛している。彼女は19歳で補(bǔ)公という名の人に嫁ぎ、60歳で亡くなり(唐玄宗天寶14年、西暦755年沒)、3人の息子を育てた。
専門家は、米氏の墓の多くの出土品はいずれも唐代の文化財の貴重品であり、盛唐の手工業(yè)の高い技術(shù)を示し、蕓術(shù)的価値を持つと述べた。墓誌はその年代を明らかにしており、出土した貴重な文化財には銅鏡、銀の箱、水晶のネックレスが含まれる。これらは唐代の同じ種類の文化財の中でも標(biāo)準(zhǔn)的で、唐代の歴史研究の貴重な資料となる。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年9月18日
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