井真成の墓誌は、現(xiàn)存する最古の「日本」に関する文字の記載時期の746年よりもさらに數(shù)十年古い
一體いつの時代から「日本」という國名が使われたのだろうか?西北大學所蔵の日本人遣唐使の墓誌がその答えをだしてくれている。墓誌には「國號日本(國は日本と號す)」と「開元22年(西暦734年)」の記載があり、現(xiàn)存する最古の「日本」に関する文字の記載時期の746年よりもさらに數(shù)十年古い。西部網(wǎng)が伝えた。
この墓誌の主の名は井真成(いのまなり)、唐の玄宗開元5年(西暦717年)に阿倍仲麻呂、吉備真?zhèn)浃椁裙菠碎L安にわたった。墓誌には「才稱天縦(生まれつき優(yōu)秀)」、「強學不倦(勉強熱心)」と記載されており、殘念ながら帰國することができず、開元22年(西暦734年)に長安で客死した。唐の玄宗皇帝は井真成の死を悼み、五品官(官職名)の禮をもって葬儀を執(zhí)り行うよう命じたという。
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