日本で最初の人文科學の教科書、すなわち中國から伝わった四書五経などの古典には、黃帝妃によって始められた養(yǎng)蠶が民間に広く伝わった、と記されている。明らかに、この上古の美談はシルクロードの原始要素が下敷きになっており、それとリンクしている。日本最古の史書『日本書紀』にも養(yǎng)蠶についての記載がある。それによると、日本の天皇が皇后に桑を摘ませ、養(yǎng)蠶をするよう勧めたという。したがって、皇后による養(yǎng)蠶祭祀の儀式は8世紀初頭の御所で始まったことになる。
民間の養(yǎng)蠶と染織技術は3世紀まで遡る。大陸から日本に渡った技術工の指導の下で、日本の養(yǎng)蠶絹織物業(yè)は長い年月を経るうちに盛んに発展していった。1859年に橫浜が開港した時、生糸は日本の輸出品として主要な位置を占めていた。明らかに、歴代皇后が受け継いできた養(yǎng)蠶は、伝統(tǒng)文化の継承だけでなく、日本の経済収益にも貢獻したのである。中でも、今上天皇の皇后である美智子皇后の貢獻は特に顕著だ。美智子皇后は絶滅の危機に瀕している日本の野生品種「小石丸」を飼育し、皇室養(yǎng)蠶所でつむいだ生糸を正倉院に提供した。この生糸は代々伝わる寶物の復元と修理に用いられた。當然、寶物の一部はシルクロードと中國から伝わったものだ。また、宮中祭祀で使用される裝束や外國元首への贈り物にも皇后が飼育した蠶からつむいだ生糸で織られ、縫製されている。
皇室と養(yǎng)蠶のこのような伝承関係に鑑み、皇后は蠶についての和歌を數(shù)多く詠んでいる。どの歌も皇后の心情と志が託されており、養(yǎng)蠶の歴史に觸れ、伝統(tǒng)を受け継ぎ未來の発展の道を開こうという心情を歌い上げている。わずかではあるが、ここに四首紹介しよう。
真夜こめて秋蠶は繭をつくるらしただかすかなる音のきこゆる
音ややにかすかになりて繭の中のしじまは深く闇にまさらむ
籠る蠶のなほも光に焦がるるごと終の糸かけぬたたずまひあり
くろく熟れし桑の実われのてに置きて疎開の日日を君は語らす
「シルクロード」の経験は私たちに次のような示唆を與えてくれる。激しく移り変わる世の中で、砂金を振るうがごとく幾たびも選り分けられてなお時空を貫いて伝えられるのは、開放的で、互恵的で、寛容かつ進取の気概に満ちた文化だけなのである。(文:王敏?法政大學國際日本學研究所教授 )
「北京週報日本語版」2016年2月1日
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