醍醐寺蕓術(shù)秘寶展で展示された弘法大師坐像。
醍醐寺と中國(guó)の深いつながり
自國(guó)の文化財(cái)を海外で展示するにあたり、日本には以前から厳格な規(guī)定が設(shè)けられており、特に寺院の文化財(cái)を國(guó)外で展示することは非常に難しい。醍醐寺の秘蔵品が海外で展示されることはほとんどなく、今回の中國(guó)での特別展は醍醐寺の文化財(cái)にとって二度目の海外展示となる。上海博物館の楊志剛館長(zhǎng)は「今回の展示に私たちは4年近くの月日をかけて準(zhǔn)備してきた」と、感慨深げな様子で語(yǔ)ってくれた。
上海博物館青銅部の副研究館員の李柏華さんによれば、醍醐寺と中國(guó)の深いつながりはこの寺の建立前にまでさかのぼることができるという。西暦804年、入唐した日本の僧侶?空海は長(zhǎng)安で青龍寺の高僧?恵果に師事し、同806年に日本に帰國(guó)する際には唐代の詩(shī)歌、絵畫、文學(xué)から文字に至るまで大量に持ち帰り、それ以降の日本の文化の発展にきわめて重大で強(qiáng)い影響を與えた。醍醐寺は874年に建立され、創(chuàng)建した聖寶は空海の孫弟子にあたる。この寺に納められている文化財(cái)の多くが空海が中國(guó)から日本に持ち帰った様式となっており、特に奈良、平安、鎌倉(cāng)時(shí)代の仏教蕓術(shù)は中國(guó)の唐代や宋代の影響を色濃く受けている。今回展示される「絵因果経」は日本に現(xiàn)存する最古の絵畫作品の一つと言われている。奈良時(shí)代に作成されたこの絵巻は下段に経文が書かれ、上段には経文の內(nèi)容を説明する絵が描かれている。書風(fēng)と絵の中に描かれた建築物や人物の服裝などの様子からは隋末唐初のスタイルをみてとることができる。
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