○新しい家 毛主席を描いた半生
宏一さんを引き取った男性の名は王殿臣さん。引き取られた宏一さんは王家の長(zhǎng)男となり、名前も「王林起」となった。その日から、宏一さんは溫かいオンドルの上で寢るようになった。
十代だった宏一さんは半年もしないうちに新しい生活に慣れていった。王家は瀋陽(yáng)から北平へ引っ越し、宏一さんは三年生の時(shí)に中華人民共和國(guó)建國(guó)後、第一期生となる少年先鋒隊(duì)隊(duì)員に選ばれた。宏一さんは他の隊(duì)員とともに、天安門広場(chǎng)で行われた建國(guó)式典に參列し、金水橋に向かって無(wú)數(shù)に放たれた風(fēng)船に両手を大きく振り、偉大な指導(dǎo)者である毛主席に歓呼の聲をあげた。その時(shí)、彼は「なんとも言えない誇りと幸せを感じた」という。
その後、宏一さんは北京市第十二中學(xué)(中高一貫校)の高等部に進(jìn)學(xué)したが、養(yǎng)父母が日々の生計(jì)にも苦労しているのを目にし、退學(xué)。ちょうど工場(chǎng)労働者募集が盛んな時(shí)期だったこともあり、北京タービン工場(chǎng)の研削盤操作の仕事を得て、定年退職まで勤め上げた。
また宏一さんは中央美術(shù)學(xué)院に派遣され、毛主席の肖像畫を描くカリキュラムを受けた経験もある。カリキュラム修了後、宏一さんは工場(chǎng)のために數(shù)多くの毛主席の肖像畫や、革命と生産促進(jìn)の宣伝ポスターを描いた。彼のこの才能は工場(chǎng)で重用された。
中國(guó)に殘った宏一さんはその後の半生においても毛主席を描き続けた。
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