王林起さんの日本名は渡部宏一さん
○肉親捜し 養(yǎng)父の一言がきっかけ
養(yǎng)父母の家で過(guò)ごす年月が長(zhǎng)くなるにつれて、宏一さんは日本語(yǔ)をすっかり忘れてしまっていた。1972年に中日國(guó)交が回復(fù)すると、彼が戦爭(zhēng)孤児だと知る友人が彼の日本の生家について尋ねたことがあった。彼は幼少の頃の記憶はすでに曖昧になってしまっており、また中國(guó)の養(yǎng)父母の面倒を見(jiàn)る必要もあることを理由にきっぱりと帰國(guó)しないと答えた。
しかしそんな宏一さんの考えを変えたのが養(yǎng)父が生前言った「お前の故郷をとても見(jiàn)てみたいが、多分行くことはできないだろうな」という一言だった。1951年、養(yǎng)父は17歳になった宏一さんを自身の故郷である河北省景県に連れて行った。村の様子は宏一さんが覚えている日本の故郷に似ていたという。曖昧な記憶を頼りに、宏一さんは中國(guó)語(yǔ)で故郷の和田村の村長(zhǎng)に一通の手紙を書(shū)いた。
2年後、再會(huì)を待ち望んでいた親戚側(cè)の準(zhǔn)備が整い、宏一さんは親戚に會(huì)うため日本へ向かう飛行機(jī)に搭乗した。故郷の畳の上で一夜を過(guò)ごしたのはその晩のことだった。
宏一さんは日本で人々の世話になっただけでなく、日本の會(huì)社も高給を約束し、引き留めようと試みたが、彼はやはり中國(guó)への「帰國(guó)」を決めた。中國(guó)には戻ったが、その後も彼は何度も親戚に會(huì)いに訪日しているという。
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