5. 文化?社會部門審査委員の所感
この卒業(yè)論文コンクールが開催されている目的が、「受賞者と受賞校を顕彰する為ではなく、日本語教育の現(xiàn)狀と課題を把握して、その打開を図ること」であるので、具體的にどの論文についてのコメントは他の審査員に譲り、若輩者ではあるが、この論文大會を通じて把握した現(xiàn)狀とその打開について感じた所を述べさせて頂く。文化社會の論文は、昨年と比べて、論文數(shù)が17本から9本へと大きく減少した。また、全體的に見て、數(shù)量だけでなく、その獨(dú)創(chuàng)性?論理規(guī)範(fàn)性も昨年に比べてやや低下したのではないかというのが率直な感想である。他人の成果の引用も、されていない、どこからどこまでが他人の引用?要約で、自分の意見や見解かが分からない等、引用規(guī)範(fàn)が守られていなかったり、先行研究について述べられていなかったりと、內(nèi)容以前に論文としての規(guī)範(fàn)性が不充分な論文が多かった。內(nèi)容も、日中比較をするのに、比較調(diào)査する対象についての記載が無いものや、論述が恣意的なものなども見受けられた。採點(diǎn)基準(zhǔn)は獨(dú)創(chuàng)性5點(diǎn)、論理性?規(guī)範(fàn)性3點(diǎn)、日本語力2點(diǎn)ということであり、獨(dú)創(chuàng)性で點(diǎn)が低かったのは、多くの論文に共通していたが、學(xué)部の卒業(yè)論文では仕方がないことといえる。ただ、論文は全て各大學(xué)の最優(yōu)秀論文であるにも関わらず、日本語力や論理性?規(guī)範(fàn)性には比較的大きなばらつきが見られた。卒業(yè)論文の規(guī)範(fàn)性については、學(xué)生は初めて學(xué)術(shù)論文を書くのであるから、指導(dǎo)教員の指導(dǎo)や卒業(yè)論文の指導(dǎo)システムに改善の余地があるのではないかと思われる。
學(xué)生が學(xué)術(shù)規(guī)範(fàn)を具えた卒業(yè)論文を書くに至れないことを、全て學(xué)生の資質(zhì)?努力や教員の指導(dǎo)?資質(zhì)に求めるのには無理がある。なぜならば、現(xiàn)在は、昔と異なり日本語さえしっかりとマスターできていれば、高給と將來が保証されるわけではなく、日本語だけできても高給どころか就職すら覚束ない。更に、自らの専門の他にも、英語やITスキル等も習(xí)得するのは専攻を問わず最低限の要件となってきており、その上、即戦力になる複合的人材が求められている。従って、語學(xué)以外の他の専門知識やインターンを通じた実務(wù)経験等も要求される時(shí)代になってきており、學(xué)生が日本語學(xué)習(xí)や卒業(yè)論文に割ける時(shí)間と力は減少してきているのではないか。
しかし、『日語専業(yè)卒業(yè)論文寫作指導(dǎo)』(2012)の中で修剛は「畢業(yè)論文的撰寫,是社會科學(xué)本科階段教育的最重要環(huán)節(jié)之一,是培養(yǎng)學(xué)生的科學(xué)精神、創(chuàng)新能力特別是分析問題、解決問題的能力的重要過程。畢業(yè)論文是對畢業(yè)生所學(xué)學(xué)科專業(yè)水平的綜合演練和檢驗(yàn),也是學(xué)校教育教學(xué)質(zhì)量的集中亮相和全面考核??梢哉f,通過畢業(yè)論文可以檢驗(yàn)一個(gè)學(xué)校的教育教學(xué)質(zhì)量,檢驗(yàn)畢業(yè)生四年的學(xué)習(xí)成果。因此,任何一所學(xué)校都會高度重視畢業(yè)論文的撰寫,重視對學(xué)生畢業(yè)論文的指導(dǎo)。」とし、小野寺も卒業(yè)論文の意義を「學(xué)業(yè)の集大成というべき課業(yè)であり、受動的になり勝ちな外國語教育においては、學(xué)生が能動的に、學(xué)問に取り組むことの出來る唯一の機(jī)會である?!工仁訾?、その他の日中の識者も、卒業(yè)論文は大學(xué)生活の貴重で重要な総決算であるという點(diǎn)で見解は一致している。そして、學(xué)生全員が日本語で卒業(yè)論文を書いていることと、その指導(dǎo)を中國人教員が行っていること自體が素晴らしいことであり、大學(xué)生にとって、卒業(yè)論文の重要性は逆に高まっているともいえよう。
さて、以上の現(xiàn)狀を認(rèn)識?把握して、どのように現(xiàn)狀の打開を図るかということであるが、今後の方向性として、2つ提言したい。1つは、論文の規(guī)範(fàn)性にばらつきがあることの背景には、論文の書き方を指導(dǎo)する授業(yè)が無いか、あっても內(nèi)容が統(tǒng)一されていない。又は、指導(dǎo)教員によっては、きちんとした論文を書く力があってもそれを?qū)W生に指導(dǎo)していない(出來ていない)等の人的?システム的な構(gòu)造があると考えられる。そこで、大學(xué)のカリュキュラムの制限と教員の質(zhì)のばらつきを補(bǔ)うべく、卒業(yè)論文の書き方についての講座や、規(guī)範(fàn)性に優(yōu)れた論文をインターネット上にて公開し、それを全國の大學(xué)の日本語學(xué)科の學(xué)生が見られるようにするということ。もう1つの方向性として、論述內(nèi)容を日本に関することにして、使用言語を日本語に限定せず、日本語力はあくまでも加點(diǎn)要件に留めるように変えていくことで、學(xué)生が論文規(guī)範(fàn)性を高め、獨(dú)創(chuàng)性を発揮し易いようにするということである。
(北京第二外國語大學(xué) 津田量)
![]() | ![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日報(bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn