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谷崎潤一郎の中國との縁とその文學(xué)作品

人民網(wǎng)日本語版 2020年06月09日10:21

谷崎潤一郎は著名な耽美主義の小説家で、何度もノーベル文學(xué)賞にノミネートされた。代表作には、「細(xì)雪」や「秦淮の夜」、「春琴抄」などがある。彼は中國を2度訪問したことがあり、中國の多くの文化人と交流があったため、その作品は中國文化の影響を大きく受けている。そして、その中國との縁、交流の経験が中日の文壇の逸話となっている。人民日?qǐng)?bào)が報(bào)じた。

幼少時(shí)代から漢學(xué)に觸れ中國の旅に憧れるように

中國の古代文化は日本に極めて大きな影響を與えてきており、日本の文化人の間では「漢學(xué)」が常にリスペクトされてきた。明治維新初期に、日本が大量に西洋の言語を日本語に取り入れた際にも、翻訳家たちは相當(dāng)する漢字の組み合わせを探しだして単語を作りあげた。その當(dāng)時(shí)、一流作家にとって漢學(xué)は必ずしっかり身につけているべき知識(shí)であり、特に、幸田露伴や夏目漱石、芥川龍之介、佐藤春夫などは、漢學(xué)に精通していただけでなく、たくさんの漢詩を創(chuàng)作した。

谷崎は小學(xué)校に通い始めたばかりの6歳の時(shí)に、漢學(xué)に精通していた擔(dān)任の稲葉清吉先生の影響で文學(xué)に目覚めた。そして、13歳の時(shí)に、母親の勧めで貫輪秋香塾で漢文の素読を受けるようになる。幼少時(shí)代から漢學(xué)の熏陶を受けた谷崎は、中國に思いを馳せるようになっていった。1918年10月、谷崎は初めて中國を訪問し、じっくりと旅を楽しんだ。まず、遼寧省瀋陽市を経由して、北京に行き、そこから、湖北省の漢口へ行った後、船で川に沿って西に向かい、廬山を観光してから南京に向かった。その後、列車で蘇州、上海、杭州を旅行した。その旅は12月上旬まで続き、その後上海から船で帰國した。1926年1月、谷崎は再び船で上海を訪問し、そこで1ヶ月滯在して帰國した。この2度の中國の旅により、谷崎と中國の文化人の交流の逸話ができたほか、谷崎は文學(xué)作品を創(chuàng)作するためのたくさんの素材を得ることができ、その創(chuàng)作のモデル転換の基礎(chǔ)を築いた。

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