
「あの戦爭から70年も過ぎたのだから、それをいつまでも引きずることはない」、「日本はあの戦爭でアメリカに負けたのであり、中國人に負けたのではない」といった誤った認識をもつ人もいれば、東京大空襲や広島?長崎への原爆投下など日本の被害だけを記憶に留める人もいる。こうした日本人の戦爭への認知は、戦爭の全容を知らしめるテーマ博物館を建てたいという館長の思いをさらに掻き立てるとともに、一人でも多くの日本人に自分の博物館に足を運んでもらい、1931年から1945年までの間に日本軍が犯した數(shù)々の罪を自らの目で見てもらいたいと切に願うようになった。
「日本中國侵略犯罪行為館」では、中國人の寛容さや慈善の心を世界の人々に感じてもらうため、日本軍が犯した大罪と、戦後中國が日本人俘虜や開拓団を日本に送り返した資料を対比させる形で陳列している?!溉毡兢螖獒?、生き殘った兵士や一般の日本人すべてを日本に送り返した。14年間におよぶ殺戮、虐殺、爆撃について何ら清算しなかった。アメリカ人もイスラム人もオーストラリア人も、どの國のどの民族もできなかったことだ。舊ソ連に至っては日本人捕虜をシベリアに送り込み、鉄道や道路を建設させ、最後は皆そこで死に絶えた。賠償を放棄したことはいうまでもなく、中國ほど寛容さをもって敗戦國すべての人々を送り返した民族はない。殘念ながらそうした事実も多くの日本人が知らない」と館長は語った。
「あの歴史を正視してこそ、次なるページを捲ることができる」
中日両國は數(shù)千年という交流史を有し、「和」こそ主流であり、「戦」はその支流にすぎない。両國は互いに文化の輸出を続け、唐代が日本に與えた影響はもちろんのこと、多くの中國人留學生が日本から醫(yī)學や科學といった近代的知識を學んだ??谷諔闋帳蛑笓]した多くの將軍でさえ、日本で軍事知識を學んでいた。今日樊館長が掲げる「平和のために戦爭を収蔵する」という事業(yè)は、人々にこの戦爭における加害者と被害者を明確にさせ、日本にあの歴史を正視させるためであり、そうしてこそ、中日両國國民は次なる美しい未來へと邁進することができ、日本が中華民族に災難をもたらしたという歴史の一ページは、ようやく次へと捲られるのである。(編集IM)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年8月21日
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