筆者が中國で本を買うときは毎回2冊買う。1冊は自分のため、もう1冊は読者にプレゼントするためだ。これまでに自分で買った本は全てプレゼントした。つまり、日本人の中國現(xiàn)代文學(xué)に対する注目度は非常に高いということだ。
翻訳をしていて、本當(dāng)にたいへんな仕事だと思う。毎日、子供を幼稚園に送り、空いた時(shí)間を使って翻訳をしている。時(shí)間に余裕があるように思われるかもしれないが、実際には1年に1冊翻訳するのも難しい。最も難しいのは、言葉でなく、理解の違いだ。中國の作家の作品で描かれている狀況は、日本の読者が想像する狀況と異なることが多い。特に、農(nóng)村をテーマにした作品は、日本人にとってとりわけ理解しにくい。
北京で暮らしていたころ、筆者は何時(shí)間も自転車をこいで、作者が描寫している場所やそれに近い場所に行って、その景色や人物を見た。そして、服や動(dòng)作なども記録して、帰ってからそれを日本語で書き表した。そのようにして初めて、落ち著くことができた。
文字の仕事は重要だ。古代中國では、「校正」のことを「校仇」と呼んだ?!赋稹工趣いξ淖证椤⒉贿m切な言葉や使い方に対して「憤慨」する気持ちを持たなければならないということを銘記させられる。訳文からそれらを探し出して、完璧な翻訳に仕上げなければならない。
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