日本に「粋(いき)」という言葉がある。江戸時(shí)代に生まれ「人情に通じ、その身なりや振る舞いがカッコいい」ことを意味し、日本人の美意識(shí)を表す言葉。大學(xué)で日本文學(xué)を少々かじった筆者は『Subway』の店員の振舞いに、まさにこの「粋」を感じた。
一方で「これが日本だったらどうだろうか?」と考えた。おそらく子どもに水を手渡し「お金は要らないよ、飲んでいいよ」と言うだろう。『Subway』の店員のような対応はまずあり得ないだろう。萬が一あったとしても、必ず親を探して言うだろう?!副井?dāng)はタダですが、お子さんの気持ちを考えて、こうした対応をしました」と。これは「粋」ではない、「無粋(ぶすい)」である。
2014年は中國から日本への旅行者が240萬人を超え、統(tǒng)計(jì)史上、最多人數(shù)となった。日本へ行ったという中國の人々は、筆者が日本人であることを知ると「日本は清潔だ」、「サービスが良い」と褒めてくれ、また「中國人はうるさいでしょう?」、「中國人はマナーが悪いでしょう?」と問うてくる。確かに、そうした面があることは否めない。夜景を見ながら靜かに食事を楽しむレストランでは大聲で話さない方がいいし、チケットや切符を買う時(shí)の列はきちんと守るべきだ。
しかし、小さい子どもに対する『Subway』の店員のような振舞いはどうだろう? この點(diǎn)において、筆者は中國に日本が學(xué)ぶべきところだと感じる。筆者が仕事で中國に來てから1年が経つ。夫は日本で仕事をしており、北京の生活は娘と2人だ。それゆえ、中國の人々の娘に対する「粋」な振舞いには本當(dāng)に頭が下がる。満員のバスでも必ず誰かが子どもをひょいと膝に乗せてくれる。スーパーで干しブドウの山に興味を示している娘にそっと味見用のそれを數(shù)粒握らせウィンクをくれる。地下鉄の長い階段では後ろから娘をスッと抱き上げ、上りきったところでポンと下ろし足早に去っていく。江戸にも北京にも「粋」な人々は結(jié)構(gòu)いるのだ。
日中の間には様々な課題が橫たわる。「Cool Japan」、「Cool China」というお互いの優(yōu)れた點(diǎn)を認(rèn)め、學(xué)び合う姿勢があれば日中間は多少のギクシャクがったとしても大丈夫と感じている。
「人民網(wǎng)日本語版」2015年3月12日
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