中日文化交流の「パイプ役」に
20歳で人生初めての大きな選択をしてから、現(xiàn)在の誰もが知るスターになるまでの20年間の夢を求める旅路で、矢野浩二はそのうちの15年間を中國で暮らしている。そして彼は中國というこの土地を深く愛し、「俳優(yōu)になりたい」という夢もまた中日文化交流の「パイプ役」になりたいという気持ちに高まった。
現(xiàn)在、40歳を過ぎた矢野は中國に定住することを決め、美しく貞淑な中國人妻と結(jié)婚し、可愛い娘も生まれている。しかし彼は娘に日本國籍を取得させず、母親の中國國籍を取得している。
中日民間交流の「大使」となった矢野は現(xiàn)在大學(xué)などで自身の20年余りの夢を追いかけた旅路について講演し、また積極的にチャリティーや中日文化交流活動に參加している。2011年、矢野は「環(huán)球時報」が発表する「2010 Awards of the year最優(yōu)秀外國人俳優(yōu)賞」を日本人として初めて受賞した。2015年9月には中日友好関係への貢獻(xiàn)から日本の外務(wù)大臣表彰も受賞している。
日本人として初めてこれらの栄譽を受けた蕓能人として、矢野は「中日友好は自分一人の願望ではなく、自分が知らない分野でも非常に多くの人々が期待し、そのために努力していると感じた。長い間、俳優(yōu)として演じ、中日文化交流の活動に參加し、テレビドラマやその他番組で中日両國民の相互理解を深めようと自分のできる範(fàn)囲內(nèi)でずっと頑張ってきた。これは私にとって負(fù)擔(dān)ではなく、むしろ進(jìn)んで背負(fù)っていくべき責(zé)任だ」と語った。
さらに「日本で生まれ育った日本人が中國にやってきて、自分の土臺と夢を築き上げたことは、多くの人にとって少なからず驚くべきことなのかも知れない。しかし過去を振り返っても自分の心には一片の後悔もなく、ただひたすら感激と満足に満ちている。中國というこの広く肥沃な土地が、私に仕事と、愛情と、家庭を與え、私により多くの責(zé)任を果たさせ、自分の使命をはっきりさせてくれた」と語った。(編集TG)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年12月28日
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