東京の郊外で売り出されている物件のモデルハウス 不動(dòng)産販売の価格パネル
日本で長(zhǎng)年仕事している中國(guó)人の若い記者は日本人の若者が結(jié)婚相手に持ち家があるかどうかをそれほど重視しない點(diǎn)がとてもうらやましいと話す。東京や大阪などの大都市では、市の中心地から離れた周辺都市を選び50~60平方メートルの不動(dòng)産を借りた場(chǎng)合、家賃はおよそ月額5~6萬(wàn)円、月収の4分の1程度に相當(dāng)する。もし不動(dòng)産を購(gòu)入する場(chǎng)合は、最長(zhǎng)35年の住宅ローンで金利はたったの2%~3%、またはもっと低い。子供ができた場(chǎng)合も、學(xué)費(fèi)はほとんどかからない。安定した職と、醫(yī)療保険さえあれば、後顧の憂いはほとんどない。夫婦2人の月収が合わせて30萬(wàn)円以上ならばかなり安定していると感じることができるという。
1968年、日本のGDPは西ドイツを上回り1000億ドルに達(dá)し、その経済規(guī)模は米國(guó)に次ぐ世界第二の経済大國(guó)となった。しかしこの年の日本の一人當(dāng)たりのGDPは世界第20位。1971年には日本の一人當(dāng)たりGDPが2000ドルを超え、3年後にはさらに3000ドルにまで増えた。日本の一人當(dāng)たりのGDPが1000ドルから2000ドル、さらには3000ドルまで増えるのに要した時(shí)間はそれぞれたった6年と3年だった。スピードの上で西側(cè)の発展諸國(guó)を大きく上回っただけでなく、その社會(huì)も基本的に安定を保った。日本が「中所得國(guó)の罠」を回避することに成功したのは奇跡としか言いようがない。しかしこの奇跡は、日本経済の発展スピードが速く、日本人が勤勉で、日本企業(yè)の効率が優(yōu)れていたからだけではない。さらに重要なのは、比較的公平な分配制度を確立していた點(diǎn)だ。
![]() | ![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-3680